招待状と薔薇




 招待状が届いた。公爵夫人が主催する晩餐会である。
 公女アルゼリーナをお祝いするささやかな集まりだ。
 ついにご結婚されるのだとスウェインは思った。
 幼いころから決められた婚約者がおり、一八歳を迎えたその月に、王族の花嫁になるのだと誰もが言っていた。
 だからスウェインも疑問に思わなかったし、令嬢もそのはず。ふたりの間には何もなかったし、当然あってはならなかった。
 だがどうして自分は招待を断らなかったのだろう、と公爵家の城へ向かう馬車のなか、スウェインは後悔せずにいられなかった。
 やがて大きな城門が見え、馬車は広大な庭へ入っていった。ちょうど初夏の今、紅や黄色の薔薇が咲いている。昔、家庭教師として奉公していたころも、二度だけ薔薇の季節を迎えた。教え子であった幼い公子を連れて、植物や昆虫の名前を教えていたものだ。
 そんな記憶がよみがえった。
 同時にあってはならない感情が胸にこみ上げてくる。
 そう、アルゼリーナの記憶……。


「ねえスウェイン先生、薔薇の花言葉はご存じ?」
 花の芳香に包まれながら、アルゼリーナはそう言った。明るい金の髪と緑の瞳が美しい令嬢だ。いつも物静かで、好奇心いっぱいの弟君と対照的である。
「ええ。たしか『愛情』だったと思います」
「そうなの……」
 侍女とともに散歩をしていた彼女は、小さなため息をついた。しかしそれも一瞬のことで、侍女に庭師を呼びに行かせる。薔薇の花を切らせるために。
「姉上、誰か来るの?」
「そうよ。明日、ヴィリック殿下がいらっしゃるでしょう。たくさんのお花を飾って、お迎えするの」
「王族の人だ! すごくかっこいい近衛騎士を連れてくるんだろ。楽しみだな」
「いい子にしてなきゃだめよ、ユリウス」
 ユリウスは無邪気に明日の来訪を喜んでいた。騎士ごっこをするんだと息巻いて、棒切れを見つけると剣の練習とばかりに振り回していた。相手をするのは近くに生えている樹木の幹である。
 スウェインはやれやれ、と呆れながら活発な教え子を見守っていた。何度も棒を振り回すのを注意していたのだが、最近ではもはや諦めに似た気持ちになるしかなかった。主人である公爵や公爵夫人に知られなければそれでいい。活発なユリウスをずっと子ども部屋に閉じ込めることこそ、教育上好ましくないと考えていた。
「放任主義なのかしら」
 庭師が来るのを待っているアルゼリーナが、スウェインの顔をのぞきこむ。
「はい。将来はさぞかし立派な騎士様になられるでしょうから、僕の出番はなさそうです」
「剣は握られないのね」
「僕の家は代々、僧侶をやってまして、剣とは無縁の生活です。その代わり学問は叩き込まれてますが。それがユリウス様には、どうもお気に召されないようでして……」
「だからお父様はあなたをよこしたんだわ」
 困った顔をしていたのだろう、そんな自分をまた見てアルゼリーナは小さく笑った。
 笑った令嬢を見たのは初めてだ。家庭教師として奉公し三ヵ月がすぎようとしてたが、陰鬱な雰囲気を持つ令嬢にしか思えなかった。
 ふとさきほどの言葉がひっかかり、侍女の姿がない今、尋ねてみた。
「どうして花言葉をおききに?」
 アルゼリーナの表情が堅くなる。
「あ、そのいえ……。つまらないことを質問してしまいました。お許しください」
 慌てて謝罪するが、小さな声で答えてくれた。
「ヴィリック殿下は頼もしくて立派な王子だわ。わたし、とても幸せな花嫁になれると思うの。でも……」
 ここでアルゼリーナは口を閉じた。それ以上は語れないらしい。
 しかしスウェインはその続きを理解した。
 そんな将来の夫を出迎える薔薇の花言葉は、愛情。
 高貴な身分の方々にはよくある話であり、親同士が決めた結婚は義務だから、あまり深く考えないのが普通だった。たとえ考えてしまっても、それを口にするのは禁忌だ。
 なんだか令嬢が気の毒の思え、スウェインはちょっとだけ話をした。
「同じ薔薇でも、色によって花言葉が変わります。例えばですね――」
 白い花弁を指差し、言葉を続ける。
「白は『尊敬』。橙色は『無邪気』。桃色は『貞淑』。珊瑚色は『私の愛を受け止めて』。黄色は『嫉妬』。そして紅色が『愛情』です」
「たくさん知っているのね」
「これだけが僕の取りえですから」
「また教えていただけない?」
 答えることができなかった。
 アルゼリーナも黙ったまま、白い薔薇の花を指で愛でる。夏の乾いた風が花たちの匂いを、狂おしいまでにかき回した。
 ふとスウェインは令嬢の指先が、まだ硬い蕾に触れていたのに気がついた。助言せずにいられない。
「薔薇の蕾の花言葉は『愛の告白』です。だから殿下がお見えになった日は、咲いた薔薇がよろしいのではないでしょうか」
 ここまで口にして、冷や汗をかく。アルゼリーナの視線が痛い。表情のないまま凝視された。家庭教師という分際にもかかわらず、出過ぎた真似をしたのではないか。
 気まずさのあまり、笑ってごまかすことしかできない。やってきた侍女と庭師と入れ替わるように、スウェインは花壇をあとにした。そのころにはユリウスも剣ごっこに飽きていて、おとなしく城へもどってくれた。
 翌日、ヴィリック殿下を迎えたのは、たくさんの白と桃色の薔薇だった。


 馬車が到着し、停車場を降りて案内されるまま大広間に入っていった。長いテーブルにたくさんの薔薇が花瓶に生けられていたが、白と桃色ばかりだった。
 アルゼリーナの気持ちは二年前とまったく変わっていないのか。
 スウェインが家庭教師を辞めるまで、中庭で散歩をしていたアルゼリーナと出会うたびに、いろいろな花言葉を教えた。知らない花があると前もって本で調べておき、それも尽きてしまうと、たわいもない世間話をした。
 アルゼリーナは城の外にほとんど出たことがないためか、スウェインの故郷の話を好んで聞いてくれた。質素な寺院の生活が新鮮に思えたのだろう。
 だがそんな日々も長く続かなかった。ユリウスが希望していた剣の名手である騎士が、つぎの家庭教師になったからだ。勉学よりも武芸が向いていると、ようやく父である公爵が考えをあらためたのだ。
 城を去る日、ユリウスと公爵夫人が見送ってくれたが、そこにアルゼリーナの姿はなかった。
 それ以来、会っていないのはもちろん、手紙をやりとりしたことすらない。そんな仲ではないのだし、思い出すこともはばかられた。
 努めて忘れようとしていた矢先に、婚礼前祝の招待状……。
「久しぶりだな、スウェイン。達者にしていたか?」
 大広間に現れたのは公爵令息ユリウスだ。まだ十三歳なのに、子どもっぽい口調はとうになくなっていた。背もずいぶん伸びて、将来はたくましい騎士になることは容易に想像できた。
「はい。坊ちゃまこそ立派になられまして、見違えるようにございます」
「おまえには感謝しているよ。姉上もおまえの世話になったのだし、ぜひ呼んでくれと母上にたのんだんだ。楽しんでいってくれ」
 それだけ告げると、ユリウスはほかの客人へあいさつをして回った。つぎに公爵と公爵夫人があいさつしてくれ、懐かしい話に少しだけ花を咲かせる。そこへ侍女とともに、白い夜会服に身を包んだアルゼリーナがやってきた。
「ごきげんよう。またお会いできてうれしいわ。今夜は楽しんでいってくださいね」
「ご招待いただきありがとうございます、アルゼリーナ様」
 会話はたったそれだけだった。視線を合わすこともなく、晩餐会が始まってもふたりが話すことはなかった。
 町から呼び寄せた芸人がにぎやかに弦楽器を鳴らす。女芸人が歌を披露し、美酒とともに客人たちは酔いしれた。公子ユリウスがときたまスウェインを呼んでは、昔のやんちゃな遊びのことを話す。宴会は笑いに包まれ、来月に控えている公女の結婚を楽しく祝った。
 晩餐会が終わるころ、主役であるアルゼリーナが立ち上がり、微笑みながら言った。
「今宵は楽しゅうございました。お礼にささやかながら、みなさまのお部屋に薔薇の花を贈らせていただきましたわ。おやすみなさいませ。よい夢を」
 盛況な晩餐会はここで幕を閉じ、招待客たちはそれぞれ用意された寝室に引き上げた。
 旅の疲れと酒の酔いもあって、スウェインはすぐに寝台に身体を沈めようとしたのだが、あるものが目にとまる。

 珊瑚色の薔薇。

 花瓶に生けられたそれは、大切な暗示をふくんでいる。
 まさかと思い、窓から外を見た。ざわざわと夜の風に吹かれながら、数多の薔薇が中庭に咲き誇っていた。
 ゆらりと何者かの影が現れる。女だ。
 いてもたってもいられず、寝室を飛び出した――のだが、忘れ物を思い出し、花瓶から薔薇を一輪取った。
 誰もいない廊下を走り、裏口からそっと表へ出る。月明かりだけをたよりに中庭に向かった。
「アルゼリーナ様」
 やはり女は公女その人であった。黙ったまま自分を見つめている彼女に、そっと一輪の薔薇を差し出す。それはまだ花開く前の固い蕾だ。
「ああ、スウェイン……」
 こらえきれなくなったのか、アルゼリーナはぽろぽろと涙をこぼした。
 ふたりは固く抱き合った。
 ずっと閉じ込めていた想いが、ゆっくりと熱く溶け合ってゆく。
 ざわざわとにぎやかにしかし優しく、月夜の薔薇たちが風に揺られながら、恋人たちを祝福していた。


 翌朝、公爵家の城は大きな騒動になった。令嬢アルゼリーナが忽然と姿を消したのである。そして客人のひとりと一台の馬車も消えていた。
 公爵は血眼になって探していたのだが、見つけることも叶わずその翌々年、病死してしまった。跡を継いだ若き公爵は、先代の喪も明けないうちに姉の捜索を打ち切る。
 冷たい公爵様だと人々は噂するのだが、悪い噂が立ったのはそれきりで、人々の記憶からアルゼリーナのことは消えていった。婚約者だったヴィリック殿下はとうに別の貴族令嬢と結婚し、跡継ぎをもうけていた。


 あれから、アルゼリーナとスウェインの行方を知る者はいない。
 公爵ユリウスをのぞいて。

招待状と薔薇〜おわり〜2009.07
第2回恋愛ファンタジー小説コンテスト:参加作品

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