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七日後の夜は、盛大な結婚式でした。もちろん、アルドとラナー姫のです。
奴隷戦士だったアルドは、王さまの義理の息子になったことで、王族の一員になりました。王さまも予想外だったのでしょう、娘の結婚を喜ぶ顔というより、戸惑いのそれでした。
しかし約束は約束。礼拝堂で結婚式が終わると、アルドとラナー姫は正真正銘の夫婦になりました。それを祝って、宮殿中は上から下への大騒ぎ。だれもが歌い、踊り、たくさんのご馳走を食べました。
七日間かけて支度された料理は食べきれないほどあり、残りは町の貧しいひとびとに配られました。めったにないご馳走に、だれもが喜びます。そして、新しい花婿と花嫁に祝福を捧げました。
あるじとして傅かれたことのないアルドは、困った笑みを浮かべました。ひとびとの上に立つことになれていない花婿を、ラナー姫が何度も助言してその場をしのぎました。ただ黙って座っているだけでも、慣れていない者にはひどく居心地が悪いのです。
盛大な披露宴が終わったのは明け方でした。
新婚夫婦のために用意された寝床には、たくさんのジャスミンの花が飾られ、甘い匂いを放ちます。
夢見心地な気分のまま、ラナー姫は愛しい夫ともに寝床に入ります。花の匂いに負けないほどの甘いひとときを過ごしました。
「いつまでもいっしょにいられるのね。まだ夢を見ているようだわ」
「初めはもう一度だけ、会えればよかった。まさか結婚できるとは、今でも信じられないよ」
「一生、あたしを離さないと誓ってくださる」
「もちろんだとも。俺のほうこそ、おまえにふさわしい夫になるようがんばろう」
「愛してます」
「ああ、愛しいラナー」
ふたりは仲睦まじく、日が高く昇るまで熱い契りを交わしました。
後宮にあるラナー姫の部屋で、アルドは毎夜を過ごし、朝になると居城へもどります。
ラナー姫はとても幸せでした。まえの王さまが選んだ三人の婚約者と結婚していたら、これほどまでに満ち足りた結婚生活はなかったでしょう。夜な夜な、愛しあうたびに、ふたりで喜びを噛みしめました。
奴隷戦士だったアルドは文字が読めませんでしたが、王宮の役人を使って王さまのためにがんばって働きました。海の王国で使っている大砲を、砂漠の王国にも導入します。大砲を作るための工場を建て、巨大な砲台も町の外に設けました。もし、どこかの盗賊たちが集団でやってきても、大砲を打てば脅しになります。
さらにアルドは軍隊の規律を正し、海の王国に匹敵するようにしました。滅多に敵が襲ってこないのもあり、砂漠の王国の軍隊は訓練もあまりしていなかったのです。
王さまは喜びました。文字が読めないアルドですが、思っていたよりずっと賢かったのです。まるでわが息子のように、王さまは可愛がるようになりました。欲しい物は何でも与えると言い、後宮に美しい妾も用意します。
けれどもアルドは何も欲しがりませんでした。ラナー姫と夫婦になれただけで、充分すぎるほど幸せだったのです。
そんなある日、ラナー姫は半円状の銀輪が床に転がっているのを見つけました。侍女にきいてもちがうと答えます。文字らしきものが彫ってありましたが、傷だらけでよく読めません。
夜、夫のアルドにたずねると、眉をしかめました。
「どこでこれを」
「寝床の下にありましたの」
「うっかり落としてしまったようだ」
「まあ、あなたのものだったのね。でも、どうして壊れた腕輪をお持ちなの。お父さまに頼めば、もっときれいな腕輪を買ってもらえるのよ」
「俺のお守りなのだ」
だれにも言うんじゃない、とアルドはラナー姫に念を押し、懐から小さな袋を取り出します。なかには片割れた銀の腕輪がありました。
「九人目の奴隷と決闘をしたとき、俺は脇腹を刺された。しかし、銀の腕輪を懐に入れていたおかげで、剣の刃から守ってくれたのだ。そのとき、割れた」
「まあ、そんな偶然が。でも秘密にするのはどうして」
「おまえも見覚えがあるはず」
アルドが割れた腕輪を繋げました。すると、文字が読めます。『×××ール・ダムア』と書いてありました。
ラナー姫は思い出しました。
「イクリール・ダムア。あたしと結婚しようとした、あの盗賊の名前。なぜ、あなたが持っているの」
「ちがう。そもそもこれは俺のものだった。俺を捨てた親が俺にくれた、たったひとつの宝物だ。しかし盗み出したことには変わりない」
「アルドはアルドじゃないのね」
「イクリール・ダムア……と読むのか。俺のまことの名」
感慨深そうにアルドは銀の腕輪を抱きしめました。そのとき、ラナー姫はまたひとつ思い出したのです。
「お父さまがその名前を知ってるみたいよ。アルドのお父さまとお母さまが見つかるかもしれないわ」
「そうだったのか」
王さまと知り合いだったのか、とアルドは驚きました。そして両親に会えるかもしれない、ととても喜びました。
翌日、アルドは王さまに銀の腕輪を差し出し、事情を話しました。
すると、見る間に王さまの顔色が変わり、ぶつぶつと呪詛めいた言葉を吐きます。あまりの異様さに、アルドは背筋が寒くなり、腕輪を見せたことを後悔しました。
「即刻、こやつを牢獄へぶちこめ」
王さまは絶叫しました。あまりの恐ろしさにアルドは逃げようとしますが、近衛兵たちに取り囲まれ、縄をかけられました。
わけがわからないまま、砂漠の牢獄へ繋がれます。
水が入った駱駝の胃袋の水筒だけを残すと、近衛兵たちは去って行きました。
「ああ、秘密にしておくべきだった」
アルドは軽率だったおのれを責めます。どうやら王さまはアルドの両親のことを、よく思っていなかったようです。それどころか、憎しみすら感じました。
真夜中、近衛兵たちがやってきました。今度は王さまといっしょです。
鉄柵越しに、王さまは悲しげに言いました。
「帰ってきたのだな。呪われしわが王子、イクリール・ダムアよ」
王さまが何を言っているのか、アルドは混乱しました。
「おまえは余の息子なのだ。おまえは天の御遣の罰を受け、呪われた。その災いを遠ざけるため、先王が命じ、山脈へに捨てたのだ」
「まさか。ラナー姫は」
「さよう。おまえたちは重大な罪を犯したことになる。兄と妹が夫婦になり、契を交わした。聖典では死罪だ」
「そんな。俺たちは何も知らなかったのです」
「明朝、処刑する。それまで神に許しを乞うておくのだ」
それだけ言い残すと、王さまは去ってしまいました。
アルドは何度も叫びます。ラナー姫もおのれも、何も知らなかったのだから罪ではないのだ、と。
ラナー姫は心配していました。日が落ちると必ずやってくるアルドが、今宵は姿を見せないのです。侍女を通して、王さまに仕える奴隷の話を聞くと、どうやら町の外へ出て行ったということでした。
奴隷は理由まで話してくれませんでしたが、銀の腕輪を見せられた王さまが、アルドを両親のもとへ連れて行ったのかもしれません。それがだれかはラナー姫は知りませんでしたが、近くに住む者なのでしょう。
生き別れになった親と再会したのです。妻のもとへ帰りそびれるのも仕方ありません。
ラナー姫は露台に出ると、久しぶりに竪琴をかき鳴らしました。結婚するまえは毎晩、演奏をして長い夜を慰めていたのですが、今はもう必要ありません。アルドがいるだけで、楽しかったのです。
突如、ぷっつりと弦が切れました。しばらく使ってなかったので、弦が傷んでいたのに気がつきませんでした。なぜか胸騒ぎがします。
アルドに何かあったのでしょうか。
あれば、王さまから何か言ってくるはずです。奴隷たちもいつもどおり、過ごしています。心配し過ぎて、余計なことばかり考えてしまいます。翌朝になれば、また会えるというのに。
侍女が露台に入り、言いました。
「姫さま、そろそろお休みになられますか」
「そうね。今夜はもう寝ましょう」
「すぐに支度をいたしますわ」
侍女がそう言って、女奴隷を呼びます。ラナー姫は、いつものように寝間着に着替え、ジャスミン茶を飲みました。
王さまが去ったあと、アルドは牢獄から脱出を試みます。そのままここにいても、死ぬのを待つだけです。
何より心配なのが、妻、ラナーの無事です。聖典が絶対の世界ですから、わが娘といえども、王さまは処刑してしまうでしょう。それだけ重い罪を犯したことになるのです。
鉄柵を石で叩きますが、びくともしません。武器である剣も持っておらず、どうすればいいのか思案に暮れてしまいます。
そのとき、強い風が吹きつけました。砂煙がどっと牢獄のなかに入ってきます。アルドは目を閉じ、やりすごしました。
風がやみ、目を開くと、たくさんのカミキリムシが見えました。びっしりと鉄柵に張りつき、かじっています。木の幹によくいる虫ですが、なぜか鉄の柵を食べていました。
また砂嵐が牢獄を襲い、静まると、朽ちた鉄柵が見えました。アルドが手で押したとたん、ぼろぼろと崩れ落ちます。
深く考える間もなく、アルドはラナー姫のいる後宮を目指して走りました。
暗闇にまぎれて宮殿に入り、裏手にある後宮に足を踏み入れると、女たちのさめざめした泣き声が聞こえます。
いやな予感とともにラナー姫の寝室に入ると、息も絶え絶えの妻がそこにいました。床には飲みかけの杯が転がっています。
「ラナー」
アルドは事切れる寸前の妻を抱きしめました。
「……ああ、よかった。あなたにお会いできて」
「今すぐここを出て、遠くで暮らそう」
「ごめんなさい。あたしとあたしたちの子も無理みたい」
ここでラナー姫はがっくりと力を無くしました。瞳から生気が失われます。
周囲で見守っていた妾たちが、わっと声をあげて泣きます。侍女が言いました。
「姫さまはいつもどおり、お休みまえのジャスミン茶をお飲みになられたのです。そうしたら、急に苦しまれて。何度もアルドさまに救いを求められました。いったい、だれが毒を入れたのか……。ああ、王さまになんてお話すればよろしいのでしょう」
侍女は嘆きます。お仕えしている姫が亡くなったことで、侍女もおそらく命がないでしょう。悲しみより恐ろしさでいっぱいのようすでした。
アルドにはだれが命じて毒を入れたのかわかりましたが、何も言いませんでした。すぐさま踵を返し、黙って後宮を去りました。
駱駝をつないでいる厩舎まで行くと、そのうち一頭に乗り、砂漠の王国を脱出しました。
アルドは許せませんでした。
つまらない予言を信じて、おのれを捨てた愚かな王さまたちを。
そのおかげで、奴隷として屈辱の少年時代を歩まされたことを。
ラナー姫の命を救ったにもかかわらず、九人もの奴隷と決闘させたことを。
何も知らなかったのに、愛しいラナー姫にまで近親相姦の罪を償わせたことを。
なによりも許せなかったのは、おのれの不甲斐なさです。
奴隷戦士としての身分をわきまえたまま、ラナー姫への恋心を断ちきれなかったこと。
噂が流れたとき、かすかな希望にすがってしまった弱さこそ、一番の罪なのです。
もしラナー姫と再会しなければ、予言は成就しませんでした。
そんなわが身に、憎々しい王さまの血が流れていることも、許せませんでした。
◇◆◇◆◇
二年後、砂漠の王国は廃墟の都になりました。
盗賊の集団が宮殿や町を襲い、跡形もなくなってしまったのです。
初めは大砲で応戦した王さまでしたが、襲撃した盗賊はどこに大砲が落ちるのかを知っていました。少しずつ距離を詰め、大砲の弾がなくなったころを見計らうように、いっせいに攻めてきました。
盗賊とは思えないほど規律のとれた集団が、つぎからつぎへと宮殿のひとびとを襲い、王さまの一族を斬り殺します。命乞いをしても容赦しませんでした。
生き延びた奴隷と町のひとびとは、砂漠へ逃げ出しました。
二度と町へもどってこないよう、盗賊の頭目は建物を破壊つくしました。当分、水も飲めないよう、オアシスに毒を入れます。
商店の品や宮殿の宝物、食べ物、後宮の女はすべて、部下の盗賊たちにやり、頭目だけは何も奪いません。
そして砂漠の都を廃墟にしたあと、盗賊たちは解散しました。それぞれが新たな獲物を求めて旅立ちます。
しかし頭目だけは廃墟に残りました。みなが去ったのを見とどけ、毒の入った盃をあおります。そこはラナー姫の眠る墓前でした。
人知れず死んだ盗賊の頭目でしたが、天の御使だけは知っていました。
ぽとり、ぽとりと熟れた果実を地面に落とし、たくさんの鳥たちを呼び寄せます。何もかも失われた都を悲しむように、鳥たちはさえずりました。
鳥たちが去ってしまうと、巨大な砂嵐が起こります。瓦礫や死体を巻きあげ、天高く舞いあがります。どこまでも。
三日三晩の砂嵐が止むと、そこに残ったのは天の御使とオアシスだけでした。あとは広大な砂漠が延々と広がります。
◇◆◇◆◇
砂漠の王国が、白い砂粒に還って何年もたったころ。
ある美しい娘が道に迷ってしまいます。雨乞いの生贄のために遠くへ売られる途中、売主のすきをついて逃亡したのでした。しかし、逃げ出したのは広大な砂漠。水筒の水すらありません。あるのは、鎖の切れ端がぶら下がる首輪だけです。
それでもいいのです。生贄になって殺されるぐらいなら、おのれの意思で最期を選びたかったのですから。
死を覚悟した娘の心に、不思議な声が響きます。
――私の身体に巣食う、虫を退治してくれると約束するなら、おまえを救ってやろう。
空耳とわかっていても、娘はその声にすがらずにいられません。奇跡的な望みに賭けるように、砂丘を越えました。
すると、地平線に見えたのは、天まで届きそうなばかりに伸びた大樹でした。
娘が近づいてみると、ほかは何もありませんでした。白い砂と青い泉だけの清浄な世界です。
娘は思いました。
――なんだか、寂しい場所ね。
オアシスの水を飲み、大樹が落とす果物を食べながら、旅人のための宿を作ろうと思いました。だれでもいいから、話し相手が欲しかったのです。
そんな健気な娘を、そっとカミキリムシたちが見守っていました。
おわり