令嬢カトリーヌと禁断なる恋の日々

執事フレデリックと禁断なる聖誕祭のプレゼント【02】




「このたびは助かりましたわ。まったく、あの警備員ったら、とんだ失態をしてくださったわね。主人に言って、お店に謝罪させようかしら」
 三階にもうけらている喫茶室で、ジェルマン男爵夫人はそう言いながら、給仕に出された紅茶を飲む。
――よく言うよ。盗んだくせに……。
 フレデリックはカトリーヌと視線を合わせ、うなずいた。同感なのだ。
 まったく悪びれることなく、男爵夫人は好奇心いっぱいでカトリーヌに言った。
「それにしてもラボー嬢、あなたいつから素敵な御仁とお付き合いしていらしたの? この前の舞踏会じゃ、そんな気配はなかったですわ」
「え、えっと……。それは」
「堂々としてらっしゃるし、貴族の方なのでしょう? ちがいます?」
 フレデリックは答えない。あえてだまっていた。
「あら、失礼いたしましたわ。実業家かしら。そんな風貌ですもの」
「……」
「ずいぶんと愛想のない方なのね」
 あいだを取り持つように、カトリーヌが言った。
「彼、無口なの。でもそこがいいのよ」
「ふうん。そうですの。殿方が静かですと、つまらないですわよ。うちの主人も、何を言っても『好きにしたまえ』だけですもの。少しぐらい浮気されてもいいから、楽しい御仁がよかったわ」
「そうですの…………」
 おしゃべりな男爵夫人だが、会話は弾まない。
 それからしばらくジェルマン男爵へのつまらない愚痴が披露されることになるのだが、痺れを切らしたフレデリックが、テーブルを指で叩く。
「……それはけっこう。結婚は人生の墓場と言いますし。それより、わたくしどもにおっしゃることはございませんか、ジェルマン男爵夫人?」
「まあ、やっと口をおききなられたわ!」
 わざとらしいセリフに肩をすくめながら、目を細め、静かに、だが低く威圧するように言葉を続ける。
「ではわたくしから申しあげましょう。バッグの中身をご覧ください」
「なんのこと?」
「いいから、早く」
「まあ……不思議なことばかりおっしゃ――」
 ここで男爵夫人の動きが止まった。まるで一枚絵のように。
「どうしたの?」
 カトリーヌがバッグを開けたしぐさで固まる相手を見た。同時に驚きの声をあげる。
「やだ、あの手袋……」
「そ、そんなはずないですわ。あたくし、いつもコートに隠しているんですもの」
 フレデリックは冷たい笑みを投げかける。
「ほう、では、いつもああやって、ご自分のものにされているのですね」
「…………」
 ジェルマン男爵夫人から作ったような笑みが消えた。ここで泣く――かと思われたが、したたかな常習者。さらに不敵な笑みを返し、彼女は言った。
「まあ、あなたこそ、ずいぶんと手際がよろしいのね。まるで、昔、万引きをたしなまれていたみたい」
「そちらこそ、無実のラボー嬢をおとしいれようとされましたね? その機転、ふだんのお姿からは想像できませんが。まるで、昔、悪いお遊びばかりされていたようですよ」
「あら、元お針子風情がいけませんこと? オペラ座女優になって、ここまで玉の輿に乗るのは大変でしたのよ。まあ、あなただって同類の匂いがいたしますから、ひとのこと言えなくては?」
「俺の実家はパン屋だ。お針子風情といっしょにするな」
「そのパン屋のせがれが、うまく銀行家の令嬢に取り入りましたわね。やっぱり同類じゃないの」
「失敬だな。恋人と言ったのも方便だ。あの場で、ラボー家の執事だと言うわけにはいかんだろう。……きさまと同類と思われては困るからな」
「なるほどね。やっぱりただ者じゃないわ、あんた」
「わかったら、二度と、お嬢さまに近づくんじゃない。いいか、そのツラをラボー家に出してみろ。俺が叩きのめしてやる」
「おお、怖い、怖い。さすが成り上がり一家の野蛮執事だけあるわね。品格がまるでないわ」
 ここでジェルマン男爵夫人は立ち上がり、ひとりテーブルを離れていった。入れ替わるようにジェルマン男爵とその幼い息子が入ってきて、三人仲良く何ごともなかったかのおうに、喫茶室をあとにする。


 カトリーヌに元気がなかった。ジェルマン男爵夫人と別れてからは、物思いにふけるように商品を見つめるだけ。片想いをしているという相手に贈る、大切なプレゼントを買いに来ているというのに。
 乗り気でなかったフレデリックだが、手ぶらで帰るわけにもいかず――いや、このままなかったことにして、お嬢さまの恋は終わるのか。
――そのほうがいい。なぜなら相手は……。
 禁断の恋、と言うぐらいなのだ。既婚者の軍人なのだろう。
「屋敷にもどられますか?」
「いいえ。パパンとママンのプレゼントも買わなきゃ。パメラちゃんも」
「……もうひとりの御仁は?」
 やや間をおき、カトリーヌはためらうように言った。
「やっぱり迷惑かしらって。それにジェルマン男爵夫妻っておしどり夫婦で有名なのよ。なのに……お金をもらっていないのかしら、夫人」
 やはり万引きの件で相当ショックを受けているらしい。さとすように、フレデリックは言った。
「まあ、商品が欲しいというより、スリルを楽しんでいるのでしょうね」
「スリル? お金を払うのがつまらないの?」
「そうかもしれませんし、不満がたまっていらっしゃるのかもしれません。よそのご夫婦のことですので、わたくしからはそれ以上、なんとも申し上げられませんが」
「そんな……。だってお金目当てで、ジェルマン男爵と結婚されたのよ? 目的がかなったというのに」
 ここでカトリーヌははっとしたように、フレデリックから視線をそらす。
「お嬢さま?」
「そうよね。お金目当てだったから、うまくいっていないのよね。お金だけじゃ、足りないものってあるもの。わたしだって……うまく言えないけれど、高価なプレゼントだったら気持ちが伝わる、と思っていたの。でもちがうのよ。それに」
「それに?」
「気持ちが伝わっても、もしお金目当てだったら……。まさか、でも……、変わってしまうのかしら」
「……」
 どうやらお嬢さまが恋したのは、軍人ではなさそうだ。
――お金目当て。
 ならば貧しいジャーナリスト?
 それともどこかの小説家志望?
 彼らならどんなプレゼントでも喜んで受け取ってくれるだろう。もちろん、彼女の背後にある財産に好意をよせながら。だが直接指摘するわけにもいかず、一応、肯定しておいた。
「失礼ですが、その方とは懇意にお話されたことがおありで? お嬢さまがお好きになられた御仁なら、悪い方ではないと思われますが」
「悪い方なのかしら……。よく知っているはずなのに、ときどき距離を感じるの。本音を語っていただけないというか」
 そりゃそうだ。金目当てなのだから。
 これでジャーナリストか小説家志望の可能性が一気に高くなった。
 ならば、プレゼントはペンがふさわしいだろう。当たりさわりのない手ごろな商品にしておけば、お嬢さまの微妙な心理まで読み取れるはずはない。
 そういうわけで、ふたりは文房具売り場にやってきた。
 これまでは羽根ペンが主流だったが、数年前から金属性のペンが売り出されている。耐久性が優れているから、最近、仕事で使い始めたフレデリックはひどく感激したものだ。
 ずらずらと並んだなかで、装飾のないシンプルなペンがいいんじゃないかな、と夫を装って言ってみた。お嬢さまを苦しめる不埒な輩には、安物でじゅうぶんだ。店員はインク瓶もすすめたが、貧乏文士にそんな豪勢なオマケなんて要るか、と思い、きっぱりと断ってやった。家に買い置きが大量にあるからと。
「ええそうね。これにしましょう」
 元気のないままカトリーヌはそう答えてくれた。


 それからラボー夫妻とペットのパメラのプレゼントを買って、あとは屋敷にもどるだけとなった。
 そのはずだったが、ふと玩具売り場のぬいぐるみが目にとまった。
 白、ピンク、水色――さまざまな色をしたカラフルなクマがならんでいる。親にひっぱられた子どもたちが、駄々をこねたり、指をくわえてみているほど愛らしい。
 パメラには小さな宝石のついた首輪だったが、あの犬にはぬいぐるみ程度でいいのだ。宝石がついていようがなかろうが、獣ごときに理解できるはずなどない。
 ……と、口に出して言えるはずもなく通りすぎる。
――まてよ?
 荷物を抱えたフレデリックは立ち止まり、提案した。
「お嬢さま、ペンといっしょにクマのぬいぐるみも贈られてはいかかですか?」
 目をぱちくりさせるカトリーヌ。
「え? もしかしてそういうの好き、フレデリック?」
――どうしてこの俺が。
 そう反射的に答えそうになるのをこらえながら、咳ばらいをする。
「いいですか、心の底からお嬢さまがお好きな御仁ならば、いかような贈りものでも喜ばれるはずです。ピンクなんていいんじゃないでしょうか? 贈りぬしの愛がいっぱいこもっているようで……」
「もしあなたが本当に好きな女性から贈られたら、受け取ってくれるの?」
 自信たっぷりにうなずいてやる。
「もちろんですよ! ああ、なんたる情熱的な聖誕祭のプレゼントなのだろうと、感激のあまり抱きしめて」
「抱きしめて? クマを?」
「そうです、お嬢さまだと思いながら、クマちゃんを抱っこして眠るのです! これぞ、究極の愛のプレゼント! ついでにラブラブハッピーな夢も見られて、これぞまさしく一石二鳥のアイテム」
 元気のなかったカトリーヌが、こらえきれないように笑った。
「フレデリックって、見かけによらず情熱的で、かわいいところがあるのね。知らなかったわ」
「…………」
「そうね。これもプレゼントにするわ。ありがとう」
 われに返ると、女性店員だけでなく、お客のご婦人や子どもたちまで好奇の視線をむけていた。
――ああ、やりすぎた……。
 と後悔するも遅し。ひどく赤面しているのが、自分でもわかった。
 しかしここで逃げ出すわけにはいかないのだ。何がなんでもクマちゃんをプレゼントさせて、財産目当てのジャーナリスト野郎をがっかりさせるのが目的なのだから。
――男に二言は無し!
 おのれにそう言いきかせながら、堂々とピンクのクマの愛らしいぬいぐるみを店員に「たっぷりとリボンのついた贈りもの用」と告げた。


◇◆◇◆◇



 明日に聖誕祭をひかえた日。ボン・ボヌールへプレゼントを買いに行った帰りにたのまれていた、あることを実行する。
――これをあなたの手で贈り届けて欲しいの。大切なものだから、確実にお願いね。あと、だれにも見つからないようにしてちょうだい。
 送り届ける前日の夜にカトリーヌは、意中のひとの住所と名前を書いたメモを渡してくれた。
 秘密の恋なのだから、当然のなりゆきだった。
 早朝、まだ屋敷のだれもが眠っているころ、表にでかける身支度を整えながら、渡されていたメモを手文庫から取り出す。たとえ相手が金目当てのジャーナリストだとしても、プレゼントを喜んで受け取ってしまえば、ここで終わりになる。だから、なかなか勇気をだして、相手の正体を知ることができなかった。
 しかしいつまでもぐずぐずためらうわけにもいかない。
 執事室のなかで大きく深呼吸し、意を決してメモを開いてみた。
――さよなら、愛しのお嬢さま。
 と心で嘆きながら。
「あ、れ……?」
 目が悪くなったのだろうか。
 フレデリックは蝋燭の灯りにメモをかざす。
 やっぱりそうだ。どこをどう読んでも、住所はこの屋敷で、名前は。
「フレデリックって、俺しかいないよな? 旦那さまはアルマンだし、従僕はポールで、シェフはピエール、御者はトマだろ。ってことはやっぱり」
 やっとお嬢さまの真意が読み取れて、その場に崩れ落ちてしまった。
 まさか、まさか、まさか!
 ……意中のお相手の御仁が――この自分だったとは!
「ああ、そうか、だから俺をデパートに…………」
 ふだんは冷静沈着なフレデリックだったが、このときばかりは恥ずかしさのあまり、しばらく床につっぷしたままだった。
 そして同時に思った。
――こんなことになるのなら、素直に懐中時計をすすめておけばよかった。大恥をかいた意味がなさすぎるじゃないか……。


◇◆◇◆◇



 聖誕祭の日は朝から雪が降っていた。このまま積もれば、パリの街はさらに白く染まるだろう。
 カトリーヌは自室の窓から景色をながめながら思った。
――あのプレゼント、受け取ってくれたのかしら?
 意外なことにクマのぬいぐるみが大好きだと教えてくれたのだから、喜んでくれるはず。
 だが、あの彼のことだ。べつの考えがあって、すすめてくれた演技をしていただけかもしれない。その理由は?
 大きなため息をついた。
「……ありえないわね。だって、ぜんぜんいつもと変わらないんだもん」
 そんなひとり言が口をついて出ていった。
 カトリーヌは社交界に出るまでは、フレデリックのことをただの忠実なる使用人ぐらいにしか感じていなかった。だが、たくさんの紳士と会ったり、よその屋敷を訪問するようになって、いかに自分が恵まれていたのかを知るようになる。
 家族で郊外へ遠出した幼いとき、ピクニックで見かけた羊を追いかけ、乗っているうちに、ひとりはぐれてしまった。しかし泣いている自分をまっさきに見つけて、羊から降ろしてくれたのは、お伴をしていたフレデリックだった。丘を三つも駆け上がってきたのだから、帰りはぶっかこうに背負われたのが忘れられない。
 少女のころ屋敷の階段で転んだときだって、落下する直前に背後から腕をとられたり――買ったばかりの靴が足に合わず、危なっかしく動きまわっていたのを察知していて、見守ってくれていたのだとあとから聞いた。
 乗っていた馬車がわだちに嵌まり、車輪が壊れて仕方なく辻馬車に乗った。しかしタチの悪い御者だったため、屋敷にもどるはずが時間をかけてスラム街に連れて行かれて、大金を要求されてしまう。手持ちにそんな大金もなく、震えて困っているカトリーヌと母を助けたのも、やはりフレデリックだった。すごいのはたったひとりで、三人もの男たちを拳ひとつで倒したことである。帰ってこない自分たちの身を案じ、パリ中を駆け回って探し出したのだ。
 つい最近だと社交界で知り合った、いかにも財産目当ての紳士の口説き攻撃からも救ってくれた。しつこく屋敷にまでやってきたとき、正面玄関で、板割りを素手で披露したのだという。「二度とお嬢さまに近寄るな」というセリフとともに。恐れをなした紳士が、近づいてくる気配はもうなかった。
 どこの屋敷の使用人もそんな者がひとりはいると思っていたのに、世間を知ればそれは特殊だったのだと気がついたのだ。社交界に出てからだんだんと意識するようになり、だれにも渡したくないと密かに想っていた。
「やっぱり迷惑だったのよ……」
 自分が知らなかっただけで、婚約者でもいるのだろうか。なぜまだ独身なのか、何度かきいてみたのだが、いつも適当にはぐらかされて終わった。
 せっかくの聖誕祭なのに、今日は憂鬱だ。
 そんな自分の想いを知っているはずなのに、フレデリックの態度はいつもとまったく変わらない。黙々と仕事をこなしている姿を、カトリーヌは今朝まで見ていた。
 ドアをノックする者がいる。
「お嬢さま。お届け物にございます」
 フレデリックだ。カトリーヌは高鳴る心臓とともに……表情はなるべくいつもと変わらないようにしながら、返事をした。
「入って」
「失礼いたします」
 銀盆に乗っていたのは、真っ赤なリボンがかかった箱だった。盆からはみ出ているほど大きい。
「わたしに? だれから?」
「わたくしから、聖誕祭のお礼です」
 いてもたってもいられず、カトリーヌは両手を組んで懇願した。
「そんなものいいの! わたしが欲しいのは――」
「それでは失礼いたします」
「……」
 銀盆に乗ったままのプレゼントが、そのまま書き物机に置かれ、ドアが閉まった。
――わたしが欲しいのは、あなたの答えなの! 義理のお返しなんていらない。
 泣きそうな思いで、リボンを解き、プレゼントの箱を開けた。
 なかから出てきたのは、白いクマのぬいぐるみだ。あのとき買ったピンクのクマとおそろいである。
――心の底からお嬢さまがお好きな御仁ならば、いかような贈りものでも喜ばれるはずです。
 そんなフレデリックの言葉がよみがえり、カトリーヌの胸は喜びで満ちあふれていく。
 そのときドアが開いた。想いびとがそこにいた。
「…………というわけでございます、お嬢さま。ずっと前から密かに想っておりましたが、まさかこういうかたちで実現するとは。まだ夢を見ているようです」
 ひどく照れてうつむいたままのフレデリック。それがおかしくて、ちょっとだけ笑いながら白いくまを抱きしめた。
「あら、いいじゃない。だってこのクマさんって、素敵な夢を見せてくれるんでしょう?」
「ええ、ラブラブハッピーなやつを」
 ふたりは見つめあったのだが、口づけを交わすまえに距離を置いた。従僕のポールが上司を呼びにやってきたからだ。
 フレデリックは何ごともなかったかのように、銀盆だけを持って下にもどってしまった。


 こうして令嬢カトリーヌと執事フレデリックの禁断なる恋が始まったのである。


執事フレデリックと禁断なる聖誕祭のプレゼント〜おわり


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