―冬の章 03―



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 最近、アリサは占いに凝っているそうだ」
 白い便箋の文字を目で追いながら、オレグは笑みを浮かべる。
 月に一度、故郷から送られてくる手紙が、彼の一番の喜びであるようだ。封筒から四つ折りの便箋を取り出す瞬間と、文章を読み終えた直後の表情は、誰にも見せない満ち足りたものだからである。
 一日の講義が終わると同時に、士官学校の生徒たちに活気が満ちてくる。平日は規則に縛られているが、明日の休日だけはどこに出かけるのも自由なのだ。
 そんな週末の夕方、アリサからの手紙がオレグのもとに届いた。寮の裏庭の芝生に座り、いつものようにユーリーに内容をかいつまんで読みきかせる。
「……あと、ユーリーにもよろしく、ってあるぞ」
「え、僕?」
「前におまえのことも書いたんだ。そうしたら、名前教えてくれって言うから」
「書くのはいいけど、いったい僕の何を書いたんだよ」
「なんのことはない。日々の愉快な出来事さ。演習の号令を聞きまちがえて、ひとりで森の中へ突っ走っていったり、行軍演習の日にかぎって寝坊して、慌てて身支度をしてしまったこととか。あれはおかしかったな。寝ぼけて室内履のままだったから皆、腹を抱えて笑っていたし……あとは」
「ああ……! 恥さらしばかりじゃないか!」
 ユーリーはたちまち赤面する。いくら友人の知り合いとはいえ、ここまで書いていいものだろうか。
「いいじゃないか。アリサも楽しんでくれているようだぞ。ほら」
 オレグが差し出した便箋には、つたない文字で文章がびっしりと書かれている。そこに『ユーリー』という名前がいくつかあった。
「アリサってまだ子供かい?」
「なぜ?」
「なんだかずいぶんと書きなれてないというか……」
「いや……。まだ字を習って二年満たないからだろう」
「もしかして」
 ここで言葉を切る。
 オレグの知り合いだというから、てっきり高貴な身分の女性かと思っていたが、どうもちがうらしい。今日で三度目だが、手紙の内容も庶民的だし、言葉がとても素直だ。教養のある女性なら、遠まわしな書き方が美徳とされているから、そんな文章にはならないだろう。
 オレグは苦笑した。
「てっきり察知していると思っていたが、気がついていなかったようだな」
「身分ちがいの恋っていうこと?」
「まあ、一言ですませればそうなる。私の実家は商会を営んでいてね、親子代々、そこで働いている下働きの娘だ。男なら帳簿をつけてもらうため、読み書きと算術を習わせるが、娘はそうはいかない。いつか他の家へ嫁いでしまうからな。だから、私がここへ入学する前に教えこんだ」
 さらにユーリーは驚きを隠さずにいられない。
「商会って……。君は貴族じゃなかったのか」
「なぜ?」
「だってまったくそんな素振り見せないじゃないか。誰よりも教養があるし、行動力もあるし、礼儀もよく知っている。言われなきゃ、気がつかない」
「では逆に問うが、教養があって行動力があって礼節を尊ぶ輩が貴族なのか? ならばここはずいぶんと、出来た人間の集まる場所だということになるぞ」
 うなだれるしかかなった。まさしくオレグの言うとおりだからだ。
 貴族ならば簡単な手続きと身体検査で入学できる。しかし身分のない庶民ならば話は別だ。莫大な寄付金はもちろん、審査もかなり厳しいと聞く。文武に秀でてない者は、たとえ自分より優秀な輩でも、士官学校の門は開かれない。
「悪かった。感情的になってつい、言いすぎた、ユーリー」
 そう言ってオレグは謝るのだが、それがかえってつらかった。
「いや、気にしてないよ」
「どのみち、私のことは噂になっているから、おまえにも知れ渡るのは時間の問題だろう」
「噂になるって?」
「陰で私の身元を調べた奴がいたらしい。身分証を自由に閲覧できるのは、誰か決まっているだろ?」
 親が爵位を持つ貴族の連中のことだ。彼らは絶大な権力を握っているから、学生たちはもちろん、教官たちでさえ連中には腫れ物を扱うような始末である。気に入らないことがあれば、どんな災難がまっているかはかり知れない。
「しかし君の身分を知ってどうするんだ?」
「もちろん弱味を握るために」
「商会が弱味なのか?」
「商会は商会でも売っているものは、物品じゃない。金だ。正確にいえば、金を貸しその利子で儲ける商売だ。巷では金貸屋と呼ばれている」
「……」
 さすがにこれにはユーリーも唖然としてしまった。
 金貸屋といえば貴族から忌み嫌われている反面、名ばかりの貧しい貴族たちにはあってはならない存在でもある。平素はつつましい生活をしても、盛大な行事にみすぼらしい振る舞いをするわけにはいかない。そんな時に駆け込む場所が金貸屋である。
 貴族と呼ばれる者たちでも客になるぐらいだから、それ以下の貧しい人々も当然のように駆け込む。生活苦のためならまだしも、賭博に溺れて際限なく借金を膨らませる連中も多かった。
 金貸屋が忌避されている最大の理由が、取立男の存在だった。金がないのだから金を借りるわけであって、期日までに耳を揃えて返せる者など稀にしか存在しない。だが金貸屋は利子つきの金がもどらないと、商売にならない。取立男たちと逃げ回る客たちの滑稽だが残忍な捕物帖は、三文芝居になるぐらい広く知れわたっていた。それを観た誰もが、震え上がるように作られている。
 もちろんユーリーも金貸屋に良い印象は持っていない。取立ての話を耳にするたび、どんなに金に困っても、金貸屋の世話だけにはなりたくないと思っていた。だが目の前にいる友人が、その忌避される商売人の息子だとは夢を見るような気持ちだ。
「その……。僕は関係ないと思っているから……」
 なんとかこれだけ答えるユーリーに、冷ややかな視線が返ってくる。
「関係ないのか? おまえもいつか世話になるかもしれないんだぞ。そして、ありったけ私のことを憎むかもしれないな」
 オレグの皮肉は的を射ているが、その決め付け方は疑問だった。何より聞いていて不愉快にならずにいられない。
「金も借りてないのに、その言い方はないだろう? 君のほうこそ、僕のような財力のない名ばかりの家系を見下しているんじゃないか?」
「それは……」
 次はオレグが返答に窮する番だった。いつもの彼ならどんな投げかけにも、明朗に答えてくれるはずだ。
「ほら、図星だ。君がそうやって威勢を張ろうとするから、他の学生たちから距離を置かれてしまうんだよ」
「……」
「それでなくてもオレグは目立つんだから、周囲にも少し気を配ったほうがいいかもしれない。なんていうか、無視しててもそんな目で睨みつけたら、連中だって面白くないと思う。身元まで調べるのはさすがにやりすぎだと思うけどね」
 そこまで言って、ユーリーは我にかえる。
 辛辣な言葉で不機嫌なはずのオレグが、余裕の笑みを浮かべて顎に手をやりこちらを見たからだ。それが逆に不気味で怖かった。
「ほう。ここまで率直な忠告をいただいたのは、父親以外、初めてだ」
「それが嬉しいことなのかい?」
「なぜか知らないが、皆、私を恐れて本音を言わないからな。こちらは丁寧に応対しているつもりなのだが」
 どうやら忠告が新鮮に感じたらしい。
 おまけに本人は怖がられていることも心外という。もっと穏やかにすごしたいのだろうが、今の性格では少々、厳しいような気もする。
 しかしそんな友人の素直な本音がとても微笑ましくもあった。


 その日の夜、ユーリーはオレグとともに街へ繰り出した。アリサが手紙に書いていた占いというものに興味をもったからだ。
 最近の占いは凝っていて、ささいな悩み事も聞いてくれるらしい。恋はもちろん将来のこともおまかせで、絵のついたカードだけで解決してくれるという。
 占いといえば少し前まで、祭壇の前で捧げ物をしては、巫女がお告げをするという大掛かりなものだったが、最近は庶民でも辻占いなどで気軽に利用できる。
 なるほど言われてみれば、夜の街角には神秘的な衣装に身を包んだ女や男が、客相手に台の上で煙を仰いだり、カードを並べたりしている。料金も安いようで、庶民たちが列を成している占い場もあった。
 そんな光景を横目に、ユーリーたちは前々から評判を耳にしていた、ある館を目指していた。【虹彩館】と呼ばれるレンガ造りの建物に、過去や未来のことを次々言い当てるという、女占い師がいるらしい。
 「きっとこれもなにか種があるんだろうよ」とオレグは冷やかに言う。興味もあるが、ひやかしもそのなかに含まれていた。ユーリーも雲散臭いと信じていないし、所詮、遊びなのだと思っている。
 だが、館の中に入ると、人の多さに驚いた。身なりの整った若い男女をはじめ、年配の紳士淑女たちの姿も見受けられる。有名なだけあり、待合室に貼られている料金表には驚いた。とてもではないが、庶民の小遣いでは占ってもらうことなど不可能だろう。
 椅子はすべて埋まっていた。オレグは壁に背をあずけるなり、小さく舌打ちする。
「ちっ。たかが占いごときで、ここまで金をとるのか? 客も客だ。未来ごときに困るおまえらではなかろうが」
 その隣でユーリーはため息をついた。
「それにしても多いな。これじゃ、僕らの番が来るころは真夜中だ。その前に眠ってしまいそうだよ」
「出るか?」
「同意」
 無駄足だったなと言いながら、出口目指す二人の頭上を風が駆け抜けた。髪が一瞬、なびいたのがわかる。
 しかしここは建物のなか。おかしいと思いながら天井を仰ぐ。薄暗いなかにあるのは梁とぶら下がったランプだけ。
「気のせいか……」
 髪に手をやるオレグに、ユーリーは言った。
「そうらしい。早く出よう」
 入口から入ってくる客たちの流れに逆らい、表へつづく扉の前までやってきた。二人の前に黒いベールを被った老女が立ちふさがる。
 ユーリーはにこやかに催促する。
「すまないけど、通してくれないかい?」
「ご主人様がお二人をお呼びしております。ぜひ、すぐにでも占わせていただきたいと」
「え? 占い師から客を指名するものかい?」
 唐突すぎる成り行きに首をかしげずにいられない。オレグも同様らしく、怪訝な表情で老女に問うた。
「だいたい私たちのことを、なぜ別室にいる占い師が知っている? だますつもりなら、もっと愚鈍な連中を見つけ出すことだな」
「風がありました。あなたがたを導く風がたったいま、報せてくれたのですよ」
 ユーリーはオレグと顔を合わせ、息を呑んだ。
 あれは偶然などではないらしい。老女の意図するところは明らかではないが、占い師に会ってみる価値はありそうだ。


 先客の中年淑女が黒い帳のなかから出てきた。案内係の少女が客のために扉を開け、会計部屋へといざなう。本来なら次の客は扉の向こう側に待機しているのだが、占い師の指示があったということで、老女に会計場から逆方向へと案内されてやってきたのだった。
 もどってきた少女は老女と短く会話をすませ、二人のために帳を開いた。
「お次の方、どうぞお入りください」
 まずユーリーが奥へ進み、その後にオレグが続く。中は狭く、明かりは小さなランプの光だけだ。黒い布がかけられた丸卓の前に、妙齢の白いベール姿の女性が座っている。頭からすっぽり被っているから、顔は判別できない。
「お座りなさい」
 言われるままユーリーは椅子に腰掛ける。
「あなたも」
 占い師はもう一つの椅子を指差した。怪訝な表情を崩さないままオレグも従う。
「こういう場所は初めてかしら?」
 ユーリーはうなづいた。
「ええ。なんだか落ち着かなくて」
「未来を知るのは勇気がいること。それでもあなたたちはわたしの元をおとずれた。夢で見たとおりのお客だから、この未来は重要な暗示が隠されているでしょう」
「はあ……」
 夢とか未来とか話が向こうの世界になってしまうから、ついていけない気持ちのまま話を聞く。
「して、その未来はいかに?」
 納得できないといった口調で、オレグはそう言った。
 占い師は卓に置いてあるカードの束を手に取ると、すばやく切り、十字型に並べた。さまざまな絵柄が二人の前に現れる。だがあまりにも抽象的で素人にはかなりわかりづらかった。
 上のカードを指し示し、占い師は言った。
「あなたたちは近い将来、ともに大きな目的にむかって進むでしょう。でもそれが吉なのかどうかはわからない。なぜなら、ひとりは――」
 次は右のカードに指先が移る。
「導きし者だから。そしてもうひとりは」
 今度は左。
「力ありし者だから」
 そして指先は下へ。
「常に欺瞞と孤独が陰を落とすでしょう。その大きな目的は不安定なものかしら。けれど」
 と、最後に中央のカードを指した。
「これはあくまでも導きし者が選んだ道。あなたたちが最終的に向かうのは、太陽ね」
 ユーリーはどう返答していいのかわからない。説明があまりにも抽象的で、どう飲み込めばよいのやら。
 オレグを見ると意地悪な笑みを浮かべていた。からかってやろう、という雰囲気が読み取れる。
「まったく。これでは素人には意味不明だぞ。もっと親切に説明してくれないか。仮にも私たちは金を払っている客なんだ」
「それは承知しております。ただ、これはあくまでも暗示で、わたしにはあなた方の生き方には、まったく介入しておりません。そこから読み取る力をお持ちなのはあなたです」
「それはつまり、丸投げか?」
「知りたいと思う気持ちがおありになれば、自ずから読み取れるでしょう」
「……だ、そうだ。ユーリー」
 オレグは肩をすくめた。案の定、笑みは嘲りに変わっている。
「では聞くけど、僕は導きし者? それとも力ありしの者?」
「さあ。どちらなのでしょう」
「それじゃ意味がない答えじゃないか。オレグが呆れるのも無理はないな」
「さようですか。では」
 次に占い師は残りのカードの束をユーリーの前に差し出す。
「一枚ひいてください」
 言われるまま引くと、女神らしき絵柄が出てきた。つづいてオレグが引くと、死神らしき絵柄が現れる。
「不吉だな……」
 ぽつりとそう漏らすオレグに、占い師は言った。
「いいえ。それは目覚めも意味してます。古きものから生まれ変わるための」
「それはなかなかいいことを聞いた。これで少しは頭の固い連中に伝わればいいんだが」
「思い当たることがあるのかい?」
「少々な」
 しかしオレグはそれ以上、教えてくれなかった。
 これで終わりらしく、占い師はその場のカードを片付け始める。納得できないユーリーは質問せずにいられない。
「話はもどるけれど、なぜ導きし者と力ありし者だと、先行きがよくないんだ? どちらも悪い意味にとれないじゃないか」
 カードを片付け終わった占い師は、静かに答えた。
「暗示は指し示しています。あなたは新たな命を授ける人。さきほど引かれたカードがそれです。しかしもうひとりのあなたは、命の終焉の役目を担ってます。真逆の相性ですから、お互い強く惹かれあう反面、相容れない運命も持ち合わせているのですよ」
「相容れない運命……?」
「進むべき道が同じなら問題はないですが、力ありし者がそれに疑問を持つときが、あなたたちの――」
「ユーリー、もう終わりだっ!」
 激しく卓を叩き、オレグは怒声を響かせる。
「え……でも、まだ」
「もう充分だろ。さっきから何もしらない私たちのことを、べらべら話して何が面白い? 何が相容れない運命だ? 笑わせるな。未来なんてわかれば、歴史はもっと光に満ちた美しいものになっていたはずだろう?」
「さようでございますね」
 占い師はそれだけ言い残すと、少女を呼ぶ。ユーリーはオレグとともに帳をあとにし、会計場で精算をすませた。
 釈然としない思いのまま、帰宅するのだったが、なぜかオレグは困憊しているようでもあった。理由をききづらくて、ユーリーは黙ることしかできなかった。
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