―春の章 03―




 ひととおりの説明が終わると、ムルハンは道具を片付けて、林のなかへ入っていく。急な坂を上っていくと、大きな切り株が一つあった。そこに腰を下ろし、ユーリーに座るよう勧められた。
 木々の隙間から畑が見え、その向こうには小屋も、広場もあった。
 背伸びをし、ユーリーは言った。
「村が一望できるんですね。気持ちいい」
「小さな村だろう?」
「ええ。でも人々の生活は悪くないと思います。ナザ村も小さいですが、活気がありません。どうしてちがうのか僕にはまだわかりませんが」
 ムルハンは神妙な面持ちでユーリーの手錠に触れた。思いがけない相手の行動に、一瞬、身を固くし、腕を引いてしまった。
「……あの?」
「失敗したのだろう。だからここにいるのだろう?」
「失敗って……」
「決まっているじゃないか。皇帝への反乱だ」
「え、ええ……」
 うなづくものの、あまり詳しいことは話したくなかった。そんな気分になれないのはもちろんだが、隠遁している村の者に尋ねられること事態、ユーリーには妙でたまらなかった。彼らは政治的なことには縁がなく、日々の生活だけで精一杯のはず。
 そんなユーリーの思いを知ってか知らずか、ムルハンは問いつづける。
「なぜ失敗した?」
「それは正直な話、僕もよくわからないんです。僕のいた組織は、強硬派と深く関わっていませんでしたから」
「じゃあおまえは何のために闘っていた?」
「闘っていたというより、少しでも助けになればいいと思って……」
「主体性のない男だな。がっかりした」
「すみません……」
「そうやって謝ること事態、私は不愉快だ。おまえたちがそうだから、いつまでたっても私は先住民族の末裔として扱われれつづけてしまう。街の初等学校へ行って学んだのはいいが、結局、元の村にしか居場所はない。平民ならまだしも、見た目で区別されてしまうのだから、たまったものじゃない」
「……」
「もし革命が成功していれば、こんな村すぐさま飛び出していただろう。闘おうにも私は外見がこれだ。とてもではないが、おまえたちとはとけこめない。待つことしか許されていないからな」
 ムルハンの言葉とかつてのオレグの言葉が重なる。
 彼もまた怒っているのだ。己に流れる血潮のため、自由に羽ばたくことが許されないと。
 それでもオレグはまだ身分が異なるだけだったから、なんとか士官学校にも進学できたし、上級貴族とも婚約することができた。しかしムルハンは開拓民から忌み嫌われる先住民族の末裔だ。村を一歩出てしまえば、待っているのは偏見との闘いである。
 正直な話、ユーリーも助け出されるまでは先住民族のことを、狩猟を好む野蛮な人々ぐらいの認識しかなかった。情けないことに帝国が自分たちに与える知識の深さはその程度だった。
 故郷や帝都にいるころは意識していなかったが、ムルハンたちもまた、帝国の圧政に苦しんでいる大勢の人々なのだ。マナの満ち足りた表情はそれを感じさせないものの、村の外で生活をしようとすれば、たちまち直面する現実に打ちのめされてしまうだろう。
「言い過ぎた。おまえに私の鬱憤をぶつけても仕方ないというのに」
 ため息まじりにムルハンはそう言ったが、ユーリーのほうを見ようともせず、謝る素振りもみせなかった。それだけ自分たちへの怒りが深いともいえる。
 ユーリーはそれでも気遣うように言った。
「いいんです。僕もここに来るまで、あなたたちのことを誤解していましたから」
「だろうな。それが歴史だ。そうやって忌避するものを私たちに押し付けてきた。狩猟もそうだが、ジャガイモもそうだ」
「え?」
 狩猟は知っていたが、まさかジャガイモも?
 元々、先住民族たちが栽培していたのではなかったのか?
 やはり知らなかったのだな、といわんばかりにムルハンは語り出した。
「あれは本来、他の王国が持ち寄ってきたものだ。飢餓対策にと。しかしその王国でもジャガイモはあまり好まれなかったらしい。なんでも女王陛下が食していたら、芽にあたって食中毒を起こしたという。その前にもたびたび、そのようなことがあったから、いつしか悪魔の食べ物として忌み嫌われるようになってしまった。それでも帝国はジャガイモを栽培しようとした。それだけ昔から冷害の被害は深刻だった」
 ユーリーは感心せずにいられない。ムルハンはその学でいろいろ、ジャガイモのことを調べていたらしい。村には書物がないから、旅をして知識を得ているのだろう。
「知りませんでした。帝国から栽培させたものだったなんて」
「だろう。私たちの言い伝えにもあるが、ジャガイモを栽培しだしたのは、この凍った冬を乗り切るために開拓民がよこしたとある。でも実際は少しちがう。ジャガイモそのものが伝播する前に、すでに教会側にジャガイモの話のみが広がってしまった。悪魔の食べ物だと信じられ、農民たちはまったく食べようともしないし、もちろん作ろうともしない。それでも飢餓はやってくる」
「それで先住民族に目をつけた……というわけですか」
「私たちは教会とは縁のない世界に生きている。とにかく飢餓を乗り越えることができるのなら、と先祖は栽培を始めてみたのだろう。この村だけでなく、同じ民族の村ではジャガイモはなくてはならない食べ物となった」
「でもいまだに開拓民は作っていないなんて、奇妙な話ですね。元々、彼らのために持ち込まれたものだったのに」
「おそらくまず私たちに食べさせてみて、害がなければあらためて広めようとしたらしいが、如何せん大地の民は風の民と交わることを嫌っているからな」
 ナザ村の村長とターニャ婆さんが、ひどくジャガイモを忌み嫌う姿が思い出された。
 学のあるものはジャガイモの話など、単なる迷信に過ぎないと思えるかもしれないが、農民たちはそうはいかない。彼らの世界はまず教会があり、そして畑がある。教会がいけないと言ってしまえば、まったく疑うこともなく彼らは信じてしまう。
 あの様子では畑を貸してもらうことも難しいかもしれない……。
 現実的な話に頭が回り、ユーリーはまた憂鬱になってしまった。
 それでも前へ進まなくてはと、己にいいきかせる。
 ムルハンが立ち上がり、握手を求めてきた。
「ぜひこの種芋をつかって、ジャガイモを広めてくれ。これで少しでも私たちへの偏見が少なくなればいい」
 ユーリーも立ち上がって、その手を両手で握った。
「ええ。できるかぎりやってみます。結果はどうなるかわかりませんが、あなたがたの助力に感謝しています」
 それでもまだムルハンに笑顔は見られなかった。
 無理もないだろう。なんだかんだいっても、この種芋をユーリーに分け与えることによって、次の冬の食料が減ってしまうのだから。
 いや。あれがあったじゃないか……。
 ユーリーは上着の懐に手をやり、慎重にその中に縫い付けている金貨の一枚を取り出した。握り締めたまま、そっとムルハンに手渡す。
 己の掌を見つめ、ムルハンは小さく驚きの声を上げた。
「こ、これは! まさか、しかし……アレクセイ五世金貨?」
「ええ。これで充分、この冬を乗り切ることができるはずです」
「書物で見たことはあるが、本物は初めてだ。偽造ではないだろうな?」
 疑われているのかと、ユーリーは苦い気持ちになってしまう。
「いいえ。これを所持していた友人の実家は、裕福なことで知られています。そしてその彼はかつて上級貴族の令嬢と婚約もしていました。わざわざ偽造したものを手に入れる境遇ではなかったはずです」
 ごくりと唾を飲み込む音がきこえた。さすがのムルハンも、目の前の大金に動揺しているようだ。
 本来ならば普通の金貨を手渡したいところだったが、ユーリーの手持ちの硬貨は銀貨と銅貨が数枚にすぎなかった。オレグとちがって元々、財力のない立場だったからどうしようもない。
 両替しようにもアレクセイ五世金貨ならば、大都市の銀行まで赴かなくてはならないだろう。そんな大金、使おうにも高価すぎて商品が見当たらない。
「ぜひ村の人々のために使ってください。あなたはよく旅をなさるそうですから、銀行に赴くこともできるでしょうし」
「あ、ああ……。ありがたく受け取っておこう」
 ムルハンは素早く金貨を懐にしまうと、林を出て行った。
 それからこの話題が出てくることはなかったし、ユーリーもあまり公にして欲しくなかったから、それはそれでよかったと思っていた。
前頁へもどる◇◇◇次頁へつづく
Home>>Title
Copyright(C)2005 ChinatsuHayase All Rights Reserved.