ある貴公子と二度目の許されざる恋

第一章 初恋 05



 エンダース氏に礼を言って、牧師館をあとにする。このまままっすぐ屋敷へ帰途するには、後味が悪いように思えてきて、アーサーはマーシャにある提案をする。
「フィンチ牧場は近いのだろう? ついでといってはなんだが、きみの祖父とやらに会ってみたいんだ」
「あたしはよろしいですけど、若旦那さまが突然来て、おじいちゃんがなんて言うか……」
「毎日、うまいバターを作ってくれることを、感謝する口実でも作るさ。ミルドレッドのことをよく知っているんだ、この機会を逃さないわけにはいかない」
 マーシャに有無を言わせないまま、アーサーは牧場へ向かった。
 ほんの五分もたたないうちに牛の群れが見え、牛小屋が並び、さらに小高い場所にフィンチ家の屋敷があった。屋敷と言っても農家を大きくした規模だ。敷地内へ続く門に、木の札が打ち付けてあった。『フィンチ牧場』と書かれている。
 馬の手綱をそばの柵に止め、門をくぐって玄関へ進む。マーシャがノッカーを叩くと、軽快な足音が聞こえ、ドアが開いた。
「まあ、おかえり、マーシャ! 急にどうしたのかい?」
「ただいま、伯母さん。あのその、えっと……」
 どう切り出してよいのか迷っている彼女に代わり、アーサーがあいさつをする。
「ごきげんよう、ミセス・フィンチ。急な訪問、申しわけない。こちらのあるじに少々、話したいことあって、お訪ねしたしだいだ。これを渡してくれたまえ」
 と、乗馬服の内ポケットに入れていた名刺を、一枚取り出す。フィンチ夫人に手渡すと、たちまち驚愕の表情に変わる。
「しょ、少々、おまちください……」
 震える声でそう返事があった。
 数分後、マーシャは伯母とともに台所に消え、アーサーは粗末な応接間に通された。
 すでに老フィンチ氏はソファに座っており、パイプをふかしている。厳しい表情で名刺を手にとってアーサーを見、立ち上がった。握手を交わし、向い合って座る。
「これはこれは、ファリントン伯爵家の若さま。まさかわが家にいらっしゃることがあろうとは、夢にも思っておりませんでした。して、マーシャがなにか粗相でもしましたかな?」
「彼女はよくやってくれている。バター作りがうまくて、わが家も喜んでいるほどだ」
「では、なにゆえわたくしを訪ねていらした? 若さまとお会いするのは、これが初めてでございますし……」
「簡単なことだ。貴殿の娘、ミルドレッドについて少々、話をききたい」
「ミルドレッド!」
 執事モーガンよりさらに年上であろう氏は、明らかに動揺していた。震える指先で、パイプを口から離し、また近づけ、だが吸っていない。紫煙だけが立ち昇る。
「貴殿が驚かれるのも無理はなかろう。僕もマーシャからたまたま聞いて、ずいぶんと驚いたのだからな」
「しかしなぜ、若さまと死んだ娘に接点があるのです?」
「夢に出てくるのだ。僕に何を訴えているのか定かではないが、どんな娘だったのか知れば、理由がわかるかもしれない。そういうことだ」
「なんてことだ。あのばか娘は。まだファリントン伯爵家に執着しているのか……」
 頭を抱えた老フィンチ氏。柱時計の振り子音だけが応接間に響く。
 どれぐらい待っただろう。ようやく語る決心がついた氏は、淡々とアーサーにミルドレッドのことを聞かせた。
「初めに申しておきますが、カートライト卿。わたくしの話をお聞きしてご気分害されたら申しわけございません。あくまでも昔のことで、あなたさまには関係ないお話しなのです。それをよくご承知おきくださいませ」
「ああ、どんな話でも聞く覚悟はしている」
「それでは……」
 老フィンチ氏は語りだす。二十六年前のことを。

 ミルドレッドはわたくしの長女です。
 十八歳のときにファリントン伯爵家に奉公することになって――あそこの階下とうちは代々、交流があるもんですから、自然とそういう流れになったんですよ。
 それまでもね、べつのお屋敷で働いたことがあったんです。
 でもすぐに帰ってきました。
 屋敷の執事に目を付けられて迫ってくるもんだから、居れなくなったそうです。
 まあそれだけ、魅力的な娘だったんでしょうな、ミルドレッドは。
 残念なことにファリントン伯爵家でも、似たような失敗を犯してしまったのです。
 しかも最悪なことに、赤ん坊を身ごもって。
 父親はだれか存じません。
 娘は決してわたくしどもに言いませんでした。
 もし相手が独身の使用人だったら、結婚するよう説得する心づもりでおりました。
 まあ、言えないということは、相手は既婚者だったのでしょう。
 美しい娘でしたが、気立てはあまり好ましくありませんでした。
 いえ、軽薄とか浮ついたとかいったものじゃあございませんよ。
 あまり他人を信用しないというか、よほど気に入った者でないとほとんど口もききませんでした。
 幼いころに実の母親を亡くして、継母としっくりいかなかったから仕方なかったかもしれませんが。
 少々気むずかしくて、正直、私も手を焼いておりました。
 実家にもどった娘はある日、ふらりと出ていってしまいました。
 それから三日もたたないうちに、帰ってきました。
 どこへ行っていたのかときいてみたら、以前のメイド仲間だった同僚を訪ねていったとか。
 しかもロンドンって言うじゃありませんか。
 不遇の子まで身ごもったというのに、浮ついた真似ばかりするんじゃないと、わたくしは叱り飛ばしたのです。
 そのとき女友だちに悪知恵を入れられたんでしょうな。
 子どもが生まれてからも、乳をやるだけであとは寝てばかりです。
 夜、屋根裏でまじないをしておったみたいで、どうしても男を忘れられなかったんでしょうな。
 情けないほどにばからしい女子どもの遊びですよ。
 そして間の悪いことに、その相手らしき男から手紙が一度だけありました。
 あとから知ったのですが、偽名で、屋敷の連中にその名前をきいてみても、だれも知らないということでした。
 手紙を読んだ娘はそれはもうどうしようもないほどに喜んで……。
 夜中に家を飛び出してしまったのです。
 わたくしが、目を覚ませ、と強く言ったにもかかわらず。
 それが娘との最期でした。
 あんなことになるのなら、縄で縛ってでもうちに置いておくべきでした。
 翌日、ファリントン伯爵家の従僕に呼ばれて、わたくしと長男とで出かけました。
 変わり果てた娘と再会したのは、お屋敷の物置小屋の床でした。
 冷たくなったミルドレッドの胸と背中は血まみれで、どう見ても銃で撃たれた傷です。
 いったいだれが、こんなむごいことを。
 そうわたしたちが憤ったら、案内した従僕が言いました。
 撃ったのはファリントン伯爵、だと。
 それを聞いたわたくしは、背筋が凍る思いでしたよ。
 あとは娘の遺体をこの家に連れ帰り、近くの墓地に埋葬したのです。
 葬儀もまともにできず、ただ、娘の愚かさを呪いながら、過去のこととして忘れるしかなかったのでございます。

 ここまで話し終えると、フィンチ氏は深いため息をついた。
 なんということだろう。夢のなかのできごとは、作りごとなどではなかった!
 しかしアーサーは口にしなかった。いかにも初めて知ったような態度を貫く。
「たしかにこれは不名誉だな。しかも僕の祖父が手をかけたとは。幽霊になって恨まれるのも無理はなかろう」
「ええ、はい。伯爵さまをご立腹させるほどですから、よほどのことがあったのはたしかですが。これ以上、わたくしどもも追及するわけにはまいりませんでした。黙って見過ごされるだけでも、大変ありがたいです。お役に立てず、申しわけございません、カートライト卿。娘には、わたくしがしっかりと言い聞かせます」
 これにはアーサーも失笑してしまった。
「あはは。ミルドレッドの墓前でか? 冥界にでも出かけないと、話が通じそうにないぞ」
 笑い飛ばしてやったことで、氏の気持ちがいくらか軽くなったのだろう。初めに見せた固い表情は無くなって、パイプに火をつけた。気持良さそうに煙を吐く。
「そうおっしゃってくださると、私も助かります」
「あと、ミルドレッドの息子はどうしている?」
 老フィンチ氏の表情が険しくなる。が、すぐに温和な好々爺のそれにもどると、さらりと答えた。
「幼い時分に病死しました。よくあることです」
「そうか……」
 人買いにやった、とはさすがに氏は言わなかった。
 ひどい話である。せめて働き手として、置いてやってもよかったろうに。だが、それだけわが家の先代伯爵を恐れていたことにもなる。息子の父親はだれだか知らないが、関わりを持っているにはちがいない、と察していたのだろう。
 老フィンチ氏が笑顔で言った。
「すっかり遅くなってしまいましたし、よろしければうちで一泊されませんか。嫁がうまい田舎料理を食わせますよ。牧場の牛乳で作ったチーズには自信があります」
 窓の外に目をやると、刻々と夕闇が迫っている。柱時計は午後八時半を回ったところだった。
「そうだな。無計画で来たから、宿のことなど頭になかった。ここは素直に厚意に甘えておこうか」
「決まりですな」
 フィンチ家の夕食は素朴だったが、とてもおいしかった。新鮮な野菜やチーズはもちろんだが、フィンチ夫人お手製のシチューは格別だった。
 見かけによらず、老フィンチ氏はおしゃべりで、ビールを飲みながら陽気に語った。
 マーシャは一家とすでに夕食をとって、屋根裏部屋の寝室で休んでいる。だから老フィンチとともに食べ、牧場経営に関する話題を聞いた。新鮮な牛乳を町の住人たちが求めるために、午前四時前には起床して乳搾りをするそうだ。マーシャたちが夕食など、とうにすませているはずだった。
 氏がさらに言うには、フィンチ牧場はとても良心的な店を選んでいるのだそうだ。悪徳商売する牛乳屋だと、牛乳に水を混入させて薄めているのだとか。あまりにも薄いものだから、ついにお役人が重い腰をあげて、悪徳商売を摘発しているのだとも。
 階上生活をしているとなかなか聞けない話題に、アーサーの耳が好奇心でいっぱいに満たされた。
 ひとまず空腹が満たされると、旅の疲れでどっと眠くなってきた。案内されるまま客人用のベッドに沈む。いつになく深い眠りに落ちていった。


「すまない、ミルドレッド。僕が不甲斐ないばかりに……」
 アーサーは恋人の墓前で、数え切れないほど謝罪し、涙を流した。屋敷の奥に閉じこめられようが、見張りの召使に過分なチップをやれば、夜は自由の身だ。だから病んだ身体に鞭を打ち、馬と飛ばしてミルドレッドのもとへ駆けつける。
 青白い月光の下、フィリップと名付けたわが子の行方を墓前で案じた。
「必ず探しだすから、それまで待っていてくれ。約束する」
 ミルドレッドは答えない。代わりに夜空に厚い雲が覆い、雷雨を降らせた。それでもアーサーは濡れたまま、墓前から動かなかった。
 一度、別れたミルドレッドと寄りをもどそうと思ったのは、自分が不治の病いに侵されているとわかったときだった。少年時代、寄宿学校でルームメイトが結核で亡くなってしまった。隣のベッドだったアーサーにも感染したのだが、さいわいなことに栄養を摂って休んでいたおかげで、大事にはいたらなかった。
 だが、胸にすくった悪魔は容赦なかった。男爵家の令嬢と婚約式をすませ、ミルドレッドのことを忘れるように父の仕事や、社交を手伝ったのがよくなかったのだろう。無理をしすぎて、ひどい咳と延々と続く微熱に悩まされてしまい、診察した医者からは「永くないかもしれない」と告げられた。
 そのとき、愛しい女の顔が脳裏に浮かび、どのみち永くないのなら恋人と余生をすごしたいと強く願う。だから、父に「残りの人生を自由にさせて欲しい」と懇願するも、まったく相手にしてもらえなかった。「金目当ての女にたぶらかされているだけだ」と付け加えられて。
 こうなれば双子の弟セオドアと入れ替わってもらおう、と策を練るも、やつはひとが良すぎて愚かだった。とても同意できないと、ことのしだいをあっさり父に話してしまった。
 そして、セオドアは森で落ち合う約束を書いた手紙を、ミルドレッド宛へ送る。彼女を森で待ち伏せし、父とともに説得――いや、脅すために。自分がふたりの奸計を察知したのは、その直前だった。
――こんなことになるのなら、セオドアのふりなどするんじゃなかった!
 何度も悔やむがすべてが遅すぎた。
 セオドアになりきったまま、父の代理としてミルドレッドを領地の外へ追放したあと、彼女とともにそのまま海外へ逃亡する予定だった。だが、自分の想像以上に、父は怒っていた。それを見抜けなかったのが、すべての失敗だった。
 庶民を人間とも思わない父の存在、そしてその息子である自分を呪う。
「許してくれ、ミルドレッド……」
「もう、存分に悔やまれたじゃないですか。どうか、俺のことなど忘れて、新しい人生を歩んでください」
 背後からそう呼びかけられ、アーサーは振り返るのだが。
 目にしたのは、農夫の服を着た骸骨――。

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