ジョン・エリオットの日誌
忘れ去られた姉妹と確執の館 04


 落雷事件のあとは、それぞれの居場所にこもって、時間をつぶしていた。アンナは自室で何をしているのか知らないが、物音ひとつしない。リズはあいかわらず屋根裏の雨漏りの番。エリオットはかび臭い書物を広げて、ベッドに腰かける。
 しかし視線は文字を追っているものの、まったく頭に入ってこない。浮かぶのは、心配しているだろう、アンダーソン家の面々とマークを筆頭にした部下たち。そろそろ警察を呼んでいるころだろう。ボートは近くの川岸に繋げたままだし、近くの館はここだけだ。捜索の手が一刻も早く伸びるのを願うしかなかった。
 そんなおり、玄関のベルが鳴った。リズが出て行くだろう、と思ったのだが、雨漏りの音が盛大なためか降りてくる気配がしない。アンナはまったく動こうとしない。昨夜、初めて館を訪れたとき、顔を出したのはリズだ。
 ならば、とエリオットは階段を降りて玄関に出てみた。開かないドアの取ってを握りしめ、思いっきり引いてみるが、やはりびくともしない。
 不意にドアが軽くなる。表にいた訪問者が開けたのだ。
「どうも建てつけが悪いようですね。はい、これ」
 玄関先に立っていたのは、合羽姿の若い郵便配達人だった。差し出された手紙を受け取る。
「僕に、です、か……?」
「よかった。じゃああなたが、ジョン・エリオットさんですね。この館にいるデイビーさんと名前がちがうから、だいじょうぶかなって心配してたんです」
「ええ、それはごくろうさま――」
 エリオットはすばやく背後を振り返り、姉妹の気配のないことを確認すると、ドアの向こうへ足を踏み出した。
「お出かけです? こんな雨なのに? 雨具は?」
「必要ない。あるのは絶好の機会だ!」
 勢い良く表へと飛び出す――つもりが、どこからともなく突進してきた黒い猟犬に行く手をさえぎられてしまう。がうがうと吠えられ、あまりの獰猛さにエリオットは反射的にドアを閉めてしまった。郵便配達人の声はしない。足音もしない。
 不安になってドアをふたたび開けようとするも、すでに遅し。不思議なドアはやはり内側からは開かなかった。
「ああ、せっかくの好機を……」
 昔、屋敷の猟犬に襲われたことがあって、猛犬を見るだけで震えが走ってしまう。あまりにも情けなくなって、力なくその場に崩れ落ちるエリオットであった。
 それにしても、だれからの手紙だろう。
 玄関に座ったまま、差出人を見る。
――ロジャー・デイビー
「まさか亡くなった……」
 ここは摩訶不思議な館だ。丘の向こうは晴れているのに、敷地内だけずっと雨が降り、窓から逃げようとしただけで雷が落ちる。冥界からの手紙が届いても、あるわけがないと言い切れない。
 立ち上がったエリオットは姉妹が勘付く前に、元手紙のあるじの部屋へ駆け上がった。ベッドの上でさっそく開封する。

 一七人目のお客さま。
 ようこそ、わが館へ。
 いまごろきみは、女房の愚痴と義妹の手料理をぞんぶんに味わっていることと思う。
 そしてふたりから苦い思い出話も披露されているはずだ。
 それがここの女あるじのもてなしだからね。
 だがアンナとリズの話は食いちがっていただろう。
 無理もない。
 そうさせてしまったのは、この私なのだから。
 なぜかって?
 アンナは毒を飲まされそうになったと思いこみ、リズは義兄は結核にかかったと思いこまないと、暮していけないからだ。
 ふたりとも私と知り合う前は、善良で平凡なただの女だった。
 だが私が関わってしまったばかりに、終わることの無い良心の呵責に苦しんでいる。
 早く終わらせたくて、私が毎日、雨を降らせているのだが、ふたりともしぶとい。
 リズはこの館を維持しようと賢明だし、アンナは妹の憎しみを自分に向けさせて、諦めることを忘れさせている。
 アンナ――あれはとても賢い女だよ。
 私が家庭教師だった女房に惚れたのも、この女といれば何もかもうまくやってくれると信じたからだ。
 自分で言うのもなんだが、私は弁護士の父親があきれるほどの怠け者だ。
 弁護士や医者、ましてや軍人になるのは真っ平だった。
 運の良いことに、アンナの実家には年老いた父親だけで、館と土地を相続できる男子はいない。
 遠縁の男がいるが、交流のないそいつに渡すぐらいなら、長女の息子にやったほうがずっといい。
 だから私とアンナは出会って一ヵ月後には、結婚した。
 だが子供はできなかった。
 年老いた義理の父は亡くなってしまい、この館は遠縁の男しだいで、いつ手放さなくてはならないか、わからない事態におちいったのだ。
 もしもの事態に備えて、アンナはあることを始めた。
 巷で流行しているロマンス小説を書き出したのだ。
 始めは私もリズも鼻で笑っていたのだが、完成した原稿を読んだら気が変わった。
 これはすばらしく面白い。
 出版社に持ち込めば、すぐに書籍化して大々的に売り出すにちがいない。
 そう確信した私は、原稿を鞄に詰めて単身ロンドンへ出かけた。
 だが現実は、夢見るように甘くはなかった。
 名もつてもない女流作家の作品など、まともに取り合ってくれない。
 通りを歩いて目に付いた出版社を訪問したのだが、どこもさんざん待たされたあげく、原稿を返されただけだった。
 失意の私は、なかば諦めかけてソーホーのホテルで五泊目の夜を迎えた。
 ちょうどシーズンの真っ最中で、ホテルの隣の屋敷では、豪勢な夜会が開かれていた。
 ひまだった私は冷やかしがてら、窓から顔をだして、ガラス向こうの煌びやかな晩餐会を見物してたのだ。
 そのなかに見知った顔があった。
 そう、それがのちのロマンス小説家になる、メアリ・マイヤー男爵夫人だった。
 彼女は私の父の知り合いの娘でね、とても美人で社交的な令夫人だ。
 もし私が長男だったら、是が非でも結婚を申し込みたかったぐらいだ。
 翌日、私はマイヤー男爵の町屋敷を訪ねて、令夫人メアリと再会した。
 しばらくなつかしい思い出話を語ったあと、人払いをして本来の目的を話した。
 刺激的なことが大好きな彼女は、私の策略に気軽に乗ってくれたよ。
 今度はマイヤー男爵夫人とともに、一番最初に断った出版社を訪ねてみた。
 するとどうだい。
 あれほどろくに原稿を読まなかった編集者が、頭をぺこぺこさせて「是非、わが社から出版させてください」だと。
 私は内心、腹を抱えて笑った。
 しょせん、編集者なんて肩書きと見かけにはとことん弱いのだと。
 それからは順調だった。
 アンナとリズには適当に嘘をついて、一社だけ検討してくれる出版社があると言っておいた。
 原稿はそこに預けているから、当分、手元にはもどってこないと。
 次に、私は新作をアンナに書かせることにした。
 もう少し女主人公が貧しい話だったら、すぐに出版社が売り出してくれる可能性があると、うまくうまくその気にさせて。
 そのあいだアンナの原稿は別のタイトルとペンネームに化けて、出版社が大々的に売り出してくれた。
 作者が若くて美人の上流階級の夫人ならば、それだけで話題になる。
 しかも話は面白いから、小説はたちまちベストセラーになった。
 原稿料はいったん、メアリ・マイヤーに入って、その後、彼女が小切手で私に渡してくれた。
 当たり前だ。
 本当に書いたのは私の女房なのだから。
 しかし私はその本当の作者に原稿料は渡さなかった。
 売り出していないことにしないと、嘘がすぐに発覚してしまう。
 それでなくても、アンナには家計もなにもかも任せきりだというのに。
 これ以上、あの姉妹に気をつかって、へらへらと笑顔を披露する生活がいやになったのだ。
 だから私は次の新作の莫大な原稿料も、自分の懐に収めることにした。
 そして結婚する前から密かに恋焦がれていた、メアリ・マイヤーの愛人となった。
 彼女も退屈な男爵には飽き飽きしていたようで、私との危険な情事も喜んで楽しんでくれたものだ。
 メアリ・マイヤー男爵夫人作の小説が、四冊ほど巷に出たころだった。
 そのころさすがにアンナも、おかしいと感じていたのだろう。
 いつまでたってももどってこない原稿を取りもどしてほしい、と私に頼んできたのだ。
 おまけに私はあれだけロンドン中の出版社をいつも回っているにも関わらず、良い返事を一度ももらったことがないのも、不思議な話だと言い出した。
 才能がないのならば、とうに出版社訪問も諦めていいはず。
 いつまでも原稿を持ち歩いているのもおかしい。
 私は適当にその場をごまかして、原稿を取り返してくると空約束をしておいた。
 しかしアンナはその夜のうちに、私にもリズにも内緒でロンドンへ出かけてしまった。
 アンナは翌日の昼すぎには館に帰っていた。
 そしてリズと台所でいっしょにすごしては、何やら話しこんでいた。
 私はまさか、アンナがロンドンへ探りに行っていたとは思わず、もし行っていたとしても、肝心の出版元を教えていないのだから、発覚することはないとたかをくくっていたのだ。
 その日の晩餐は、私の大好物、牛テールのクリアスープだった。
 なんの疑いもなしにスープを食べたのだが、しばらくして激しい苦痛に襲われた。
 身体中焼けるような熱さに悶え苦しむ私の前に、アンナは四冊の本を見せた。
 メアリ・マイヤー作のロマンス小説。
 そうか、どれもベストセラーになったのだから、書店に足を運べば、すぐに目に止まるはず。
 ひとたびページをめくれば、事の真相の手がかりが満載だ。
 その足で出版社に赴き、それからマイヤー男爵夫人を訪問すれば、謎はすべて解ける。
 私はリズに助けを求めた。
 だが彼女は泣き崩れるだけだった。
 肉体を失ったあとで思ったのだが、これも仕方ないことだろう。
 マイヤー男爵夫人だけでなく、私にはもうひとり義妹リズという愛人がいたのだから。
 というわけで、一七人目のお客さま。
 この憐れで罪深い姉妹を、どうか救ってやっていただけないだろうか。
 アンナには頼りになる真面目な夫が必要だ。
 リズには優しい義兄の慰めが必要だ。
 お客さまがふたりを幸せに導いていただけるなら、そのうち神のもとへ許しを請いに行くことができるだろう。
 館と過去に縛られ続けている日々から、解放してやりたいのだ。
 しかし憎まれ、罪深い私にはできない。
 だからリズが導いたお客さまに、こうやって私は手紙を送っている。
 どうか力になってやってくれないだろうか。

 ここまで読んだエリオットは、即座に返答した。
「いやです。お断りします!」
 だれが好きこのんで、あの世に逝っているはずの姉妹の面倒をみなきゃならない?
 いくら自分がお人好しだからといって、ここまで調子のいい頼みごとなど受け入れられるわけがない。
 あまりにも腹立たしくて、手紙をくしゃくしゃに丸めると、机に置いている本『夢の都のローラ・ロバーツ メアリ・マイヤー作』が音をたてて床に落ちた。
 まるで見えない誰かが手を入れたように、その本は部屋の中央にページを広げていた。
「……」
 あまりの恐怖にベッドに腰かけたまま固まるエリオットだったが、よく見ると開かれたページには、一枚のメモがある。手にとって走り書きを読む。

 残念ですが、いたしかたございません。
 お客さまに無理強いさせても、姉妹にとっては不幸なだけですから。
 ならばあとは、館を出る方法を教えてさしあげましょう。
 単純に「ここで暮すつもりはない」と納得させればいいのです。
 ただし既婚者という嘘の言い訳は通用しませんよ。
 アンナもリズもそれを承知の上で、いつもお客さまを招待しておりますゆえ。
 え、むずかしい?
 なあに、簡単なことですよ。
 ほんの少しだけ恥を捨て去ればよろしいのです。
 面倒でしたら、すぐに禁じ手をお使いなさい。
 三番目のお客さまがこれを使われてから、あとのお客さまも同じ方法を試されています。
 「私には髭面の恋人がいる」
 それだけでいいのですよ。
 毎回同じ嘘でも、姉妹は疑いません。
 そのときの記憶は私が消していますから。
 それでは、わが館の最終日の晩餐会を、ごゆっくりお楽しみください。
 ロジャー・デイビー拝。


 六時を告げる柱時計の音が鳴った。
 階下から足音が聞こえてきて、リズがドアをノックする。
「晩餐の用意が整いましたわ」
「ええ。すぐにまいります」
 深呼吸をひとつして、エリオットは壁にかけてある鏡の前でネクタイを締めなおした。
――今度こそ、館を脱出したい。
 決意を胸に秘めながらフロックコートに袖を通し、階段を降りてゆく。
 すぐにでもここを離れることができるのならば、一時の恥などいつだって捨てられる。
 晩餐のテーブルには、ジャガイモのグラタンとアスパラガスのソテー、パンにワイン、そして……。
 エプロン外しながら、満面の笑顔でリズは言った。
「牛テールのクリアスープですわ。大切なお客さまの晩餐には、必ずお出ししてますの」
 朝食と昼食には席を外していたアンナだったが、晩餐には真面目な顔をして椅子に腰かけていた。理由があるのだろうが、怖くてたずねる気になれない。
「さあいただきましょう」
 アンナが女主人らしく厳かにそう告げると、燭台の灯りに照らされながら食事が始まった。
 しかしエリオットはパンとグラタンだけしか口にする勇気がない。
――あのスープがロジャーを……。
 ということは、この姉妹、何かかんづいたのだろうか。
 いったい何を?
 決まっている。ロジャーからの手紙が届いたことだ。おなじように一六人もの客に届けていたのだから、今回だって知らないとは思えない。
「まあ、お食事がお気に召さないの?」
 リズが心配そうな顔で、エリオットを見つめていた。愛らしいまでの大きな瞳が、残酷な結末を予期しているかのように潤んでいた。そんな気がした。
 険しい表情をくずさないまま、アンナが言った。
「夫からの手紙を受け取ったのでしょう? 一六人のお客さま、そのあとの晩餐からみんな姿を消してしまうのよねえ。どうしてかしら」
「そ、それは……」
 ぎろり、とにらまれてしまい、鼠のように縮こまって震えるしかなかった。
「ロジャーって卑怯なのよ。本当に悪いと思ってるのなら、お客さまの身体に入ってしまえばいいのに」
「そうよね、アンナ姉さん。また三人で楽しく暮したいわね」
 同意するリズにまた恐怖する。
 にっこり淑女らしい笑みをつくったアンナが、スープを勧める。
「さあ、お食べなさい。だいじょうぶ、ちょっと眠くなるだけ。この館は一度入ったら、二度と出ることができないの。だからあたくしたちと、楽しく暮しましょう。それしか道は残されていないわ」
 リズが匙でエリオットのスープをすくい、口もとまでもってくる。反射的に身体をそらさずにいられない。
「そうよ。姉さんの言うとおりだわ。これを飲めば、空腹になることもないし、いつまでたっても若いままでいられるわよ。わたしたちみたいに。いいことだらけでしょう?」
 椅子を後ろに引きながら、エリオットは立ち上がる。右手でおのれの口を抑え、左腕を伸ばして拒絶のポーズを作った。
「お、お断りします。言ったはずです。僕には帰るべき場所があると」
 そのとたん、立ち上がったアンナに、背後から羽交い絞めされる。怪力淑女から逃れようともがくも、まったく自由を勝ち取ることができない。全身に冷や汗がふき出してくるのがわかった。
 アンナの声色が冷たいそれに変わる。
「うふふ……。今さら遅いわ。あなたはネズミ捕りにかかった獲物。だから逃げ道はないの。今度こそ、仲間にしてみせるわ」
 匙のスープを床に垂らしながら、リズが言った。
「ロジャー義兄さんに身体を貸してあげたら、何年も若いままでいられるのよ。どちらにしても、このスープを飲まなかったら、そのうち病気になって苦しんで死ぬの。だってここの食べ物、カビから作ったんですものね。わたしたちには無害でも、あなた生きてるんですもの。大変よ」
「カビ……?」
「そう。カビ。館のカビで、幻を作ったのよ。上出来でしょう?」
「さすがリズね。料理の腕だけは、あたくしもかなわないわ」
「ありがとう、姉さん」
「うふふ……」
「ふふふ……」
 不気味に笑う姉妹。
 一秒足りとも館にいることができないエリオットは、ついにロジャーの言っていた「禁じ手」を使ってみた。
 自棄になって大声で暴露する。
「だめです! 僕には帰るべき場所が! ひ、髭面の、こ、恋人がいるんです!」
 数秒、姉妹に見つめられたかと思うと、突然アンナが悲痛な叫びを上げた。
「ぎゃあああ! こ、こないでっ! 汚らわしいケダモノ!」
 リズが燭代を持って、燃え盛る炎でエリオットを攻撃する。熱い蝋が頬を焼き、髪が焦げる臭いがした。
「汚らわしい客人! 不浄のやからをこの館にとどめておくわけにはいかないわ! とっとと出てお行き!」
 お望みどおり、別れのあいさつもないまま、逃げるように館を出て行く。固く閉ざされていたはずの玄関のドアが開放され、表の景色を披露してくれた。猟犬の姿もないし、どしゃぶりの雨もなく、満天の星が夜空に輝いていた。
 川岸まで駆けたとき、ふと後ろを振り返る。
 館はあったが、灯りはまったく漏れていない。屋根はくずれてしまって、とても人が住めるありさまではなかった。
 聞こえるのは川のせせらぎだけ。
「あれは夢、だったのか……?」
 だがたしかに自分が着ている古臭いスーツは、ロジャーから借りたものである。
前頁にもどる◆◆◆次頁にすすむ
+Title+++Home+
Copyright(C)2009 ChinatsuHayase All Rights Reserved.