ジョン・エリオットの日誌
忘れ去られた姉妹と確執の館 05


◇◆◇◆◇



「……というわけで、僕はこの服を着ていたんだ。問題は、これをどうやって返しに行くかだが」
「じょ、冗談ですよ、ね……。エリオットさん……」
 執事室の机の前で固まるビリーに、クリーニングされたばかりのフロックコートとチョッキ、ズボン、カラー、ネクタイを手渡す。
「僕が言ったことを信じるかどうかは、おまえしだいさ。何も知らないままあの館へ入ってしまったら、ひどい目に遭ってしまうだろう? だからこうして親切に事の成り行きとその対策を伝授してやったんだ」
「だったら、律儀にお返ししなくても……。小包にして郵送しておけばすむじゃないですか。それにですね、こういう雑用はトムの仕事でしょう? なぜ僕が行かなきゃならないんです? いつ僕が下男より下の立場になったんです?」
 予想通り口答えが始まった部下に、エリオットはにらみをきかせながら低い声で言った。
「そうか。それほどいやなら、無理をたのんでマークに行かせよう。その代わり、おまえの給金から二ポンド引いておく。その金はマークのお駄賃にしてやるつもりだ。わかったな?」
 たちまちビリーの表情が消沈していき、眉根がひどく曇る。頬を紅潮させた部下に、負けじと言い返される。
「二ポンドもだなんて、ひどすぎます。恐ろしい幽霊屋敷に行けっておっしゃるんです? どうして僕なんです? 納得できません」
「決まっているだろう。あの姉妹を怒らせないためだ。しっかり借りた礼を言っておかないと、あとが怖いからなあ。小包じゃ、受け取ってもらえるかもわからないし、だれかが直接届けに行くのが一番いい。かといって僕は嫌われているから論外だし、マークは忙しい。女中連中もだめだ。あそこは女性は歓迎されない。じゃあトム、というのが自然な流れだが、まだ子どもだからあの幽霊姉妹を平然と、やりすごせるとは思えない。機転のきくおまえなら、スマートに礼を言って館に入らずに帰れるだろう。そう判断したまでだ」
「そうですか……」
 エリオットは人差し指で机を叩き、念を押す。
「返事は?」
「了解しました……」
「聞こえない。もう一度」
「了解しましたっ! エリオットさん!」
 なかばやけくそになったビリーの声を聞きながら、エリオットは呼び鈴を鳴らす。あらかじめ打ち合わせしていたとおり、すぐにトムがやってきてリネンを広げた。手際よくスーツを包みこむ。
「え、今すぐ出発ですか?」
 ビリーの素朴な疑問に、明瞭に答えてやる。
「ああそうだ。ちょうど隣の農場の荷馬車が、ピッチャム村の牧師館に出発するところでね。話はもう僕がつけている。そろそろ裏庭でまっているころだ。村の手前の丘に例の廃館があるから、降ろしてもらいなさい。帰りもそれに乗るんだ。いいな」
「はい……」
 着替えをするため、ビリーは寝室へと消えた。ほんの一分ほどでもどってきて、渋い顔のまま、リネンの包みを抱えて裏口から出て行った。
 廊下で、失意いっぱいの部下の背中を見送るエリオットの後ろに、マーク、メイベル、リンダと続いた。その顔も笑いをせいいっぱいこらえて、頬を引きつらせている。
「本当に信じちまったのか?」
 マークがそう言うと、メイベルが返す。
「あのようすだと、そうみたいね」
 にんまりと笑みを浮かべるリンダ。
「いい気味よ。たっぷり怖がってくればいいんだわ。あいつ、近ごろ生意気すぎて、あたしたち迷惑してたのよね」
 メイベルが同意する。
「そうそう。エリオットさんが不在のときなんか、スーにシャツと靴下の洗濯を押し付けていたのよ。洗濯代がもったいないからって、あんな少ないお駄賃でやらせようって魂胆が腹立つのよね。だからあたし、怒ったのよ。でも平気な顔してへらへら笑ってるんだから」
「あたしもよ。村の娘を内輪のパーティに招待しようって、勝手に計画してるんだから。エリオットさんの許可なしによ。信じられないでしょ。そのときの料理をあたしたちに押し付けようとしてさ。ハリスン夫人にはないしょってビリーは言ったけど、思いっきりばらしてやったんだから」
 女ふたりの会話に得心したように、マークが言った。
「なるほどなあ。どうしてビリーがおまえらの陰口叩いてたか、やっとわかったぜ。都合のいいことばかり言ってるから、どうも話がおかしいなあと思ってたら、これだ。あきれるな」
 エリオットは肩をすくめる。
「作戦がうまくいくといいんだが……。これ以上生意気になると、奉公に支障がでるからな。僕だって最悪の決断を下したくないんだけどなあ。わかってくれるのかなあ」
 背後にいたマークに両肩を叩かれる。
「だいじょうぶさ。あいつ、すげえ青い顔してたぜ。作り話と知って聞いていたら、普通に面白かったもんな」
 リンダとメイベルがくすくす笑う。
「ビリー、おばあちゃまにあのオチを言うのかしら?」
「まさか、リンダ。で、でも想像したら……笑える」
 それから数日間、屋敷の階下ではもっぱら、エリオットの怪談話に花を咲かせることになる。
 四日前、ボートに乗ったまま居眠りしてしまったエリオットは、闇夜のなかで目を覚ました。突然の雷雨のため、すぐそばの丘にある館に駆け込む。そこにいたのは、年老いた姉妹で、クリミア戦争に出征して亡くなったという姉の夫の服を拝借した。古い写真に写っていた館の若きあるじは、偶然にも面影がエリオットに似ていることもあり、姉妹は歓待してくれる。
 たった一晩だけだったが、腕によりをかけて妹老女が作ってくれた牛テールのクリアスープ。それがいたく美味しく、そのお礼にと翌朝、屋敷にもどる前に館の修繕を手伝った。
 はがれていた壁紙を貼り替えたり、傾いてしまった台所の棚を釘で打ちつけたりしているあいだ、村の牧師館でかけた姉老女が、オールストン邸のマーク宛に電話をしてくれた。その日は火曜日で、毎週、牧師館に野菜を届けに行っている農場の荷車のことを、エリオットに教えてもくれた。ボートを空になった帰りの荷車に乗せ、姉妹にたくさん礼を言って、館を去った。
 荷車に揺られて帰路に着くエリオットは、ふとビリーの生意気な態度に悩んでいるのを思い出し、何か良案がないかと頭をひねる。
 そのとき浮かんだのが、例の幽霊話だ。昨夜、亡き夫の寝室に泊まったのだが、枕がかびくさくて寝付けず、ランプの灯りのもと、小さな本棚に並べてあった伝奇小説に目を通した。いつの間にか眠ってしまい、半分も読んでいなかったものの、古い幽霊が住む館の話が着想の材料になる。
 そこで適当に話を作り、故意にビリーだけを「ここだけの話」だと呼んで聞かせ、クリーニングされたスーツを持たせたのである。農場の荷車はエリオットがたのんで、特別に用意してもらった。チップを弾んだから、農場の使用人は喜んで引き受けてくれた。
 夕刻、ビリーはどんな顔をしてもどってくるのだろう?
 だまされたと立腹するのか、やられたと落胆するのか、それともおかしくなって笑うのか……。
 どちらにしても、これをきっかけに生意気な部下が、態度をあらためてくれればいい。
 銀器を磨きながらエリオットは、どうか願いが届きますようにと、心のなかで神に祈りを捧げた。


◇◆◇◆◇



 ピッチャム村に向かう荷馬車から降りたビリーは、とぼとぼとリネンの包みを抱えたまま、丘の上へあがってゆく。上司エリオットが言っていたとおり、廃館と思わせるほどに古い建物が建っていた。
 住人がいるのかどうか定かではないから、借りたものをドアの前に置いて帰ってもいいかもしれない。黙っていればわからないし、人の良いエリオットのことだ、適当に嘆いておけばすぐに信じてくれるはず。
 問題は……。
 ビリーは背後を振り返る。自分を乗せた荷馬車が、青空のもとピッチャム村へ向かって去っていくのを。帰りの荷馬車が来るまで、どこでどうやって時間をつぶせばいいのやら。
 ぴゅう、と乾いた夏の終わりの風が、ビリーの背筋を寒くさせた。
 と、ノッカーを叩いてもいないのに、ドアがゆっくりと開かれる。
「こ、こ、こ、こんにち、は! ぼ、ぼ、僕は、ミスター・エリオット、の……お、お使いの……もので……」
 これだけ言うのが精いっぱいで、あとは震える腕で包みを前に差し出した。薄暗い館のなかから、四つの目玉と視線がぶつかり、声にならない悲鳴を上げる。
「…………!」
 にゅっと手が伸びてきた。しわだらけのふたりの老女が甲高い声で狂喜する。
「ミスター・エリオットのお使いよ、アンナ!」
「ずいぶん若い子だこと。リズ、すぐに茶を用意なさいな」
「もう用意してるわよ、姉さん。電報で報せてくれたとおりの時間ね。なんだか嬉しいじゃないの」
「さあ、さあ。遠慮しないで、なかにお入りなさい……。まあ、どうしましょう、リズ?」
「動けないの? だいじょうぶ、僕?」
「……だ、だいじょうぶ、です。ちょっと腰を抜かして。あはは……」
 ビリーは玄関前に座ったまま、引きつった笑みを浮かべずにいられない。
 してやられた、と。
 しばらくして気分が落ち着くと、古いが居心地の良い居間へ案内された。真新しい壁紙にはピンクの小花がプリントされている。貼り替えたばかりなのだろう、糊のにおいがまだわずかに漂っていた。
 ビリーは老姉妹の用意してくれたお茶を飲みながら、上司エリオットの話をしてやる。いつものビリーなら、間の抜けた上司の失態話をするところだが、今回は素直に負けを認め、主人や客人への素晴らしい奉公ぶりを教える。大袈裟なほど姉妹は喜んでくれ、ドライフルーツの入ったケーキと、レモンのタルトを、何度も勧めてくれた。
 皺にならないように、とリズは客人がいるにもかかわらず包みを開いた。それがエリオットには計算外だったようで、ビリーは老姉妹から過分のチップをもらうことになる。
 フロックコートのポケットに、エリオットは紙幣とメモをしのばせていた。無論、宿泊と服を貸してくれた礼だ。だが、姉妹にはそれが遠慮に思えて、残念だったのだろう。
 その夜、オールストン邸の執事室の机には、ビリーがピッチャム村の雑貨屋で買ったたくさんの、チョコレートと飴玉で賑わうことになる。

忘れ去られた姉妹と確執の館〜おわり

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