―冬の章 04―



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 雪の中で行き倒れになったユーリーが、マナ親子に助け出されて七日がすぎた。
 凍傷になりかけた手足は血行をとりもどし、栄養失調の身体はスープのおかげでかなり回復している。昨日は父親が仕掛けた罠に念願の兎がかかって、久々の肉料理も口にすることができた。
 食事のたび感謝の言葉をのべるが、いつも脳裏に浮かぶのは雪のなかに埋もれたままの、オレグのことだった。
 気持ちが晴れず、夜になるとどうしようもない孤独感と焦燥感で胸がしめつけられる。ひどいときは息苦しさのあまり、発作に襲われて親子に揺すり起こされるほどだった。
 これから先、誰も心から頼りにできる人はいない。
 何もかも捨てて、自分だけあの収容所にもどらない手もあるが、その代償は大きい。自分の命が逆に危険にさらされてしまう。外出許可の期限日まで、もどらなければならない。
 それにはあと五日……。この小屋から収容所までは歩いて三日はかかる。
 そろそろ出なくては。
 今日の朝食もいつもと同じ塩味のスープだった。ただいつも思うのは、故郷でも帝都でも支給された食事とはちがう材料が使われていることだ。
 気のせいかもしれないが、これを食するようになってから、体調がかなり芳しくなった。悩まされつづけていた全身のむくみも、歯茎の出血も嘘のように解消されている。栄養失調による壊血病だと、仲間たちは言っていた。
「この白い塊、前から気になっていたんだけど、なんだい?」
 ユーリーは匙ですくい、マナにたずねてみた。
「ああこれ。芋だ。おまえ知らないのか、ジャガイモ?」
「ジャガイモ?」
「その顔だと知らなかったんだな」
「芋なら知っているが、もっと粘りがあるものだろう?」
「それはサトイモ」
「ちがうのか?」
「サトイモは山に生えている。でもジャガイモはあたしたちが作るんだ。それがあるから冬を越せる」
「へえ……。君たちの一族はそうやって、冬を乗り切っていたのか」
 ひとしきり感心したユーリーに、マナは「見せてやる」と言い残し、小屋を出る。
 すぐにもどってきた彼女の手には、いびつな土色の塊が二つあった。大きさは大人の拳ぐらいで、くぼみだらけである。
「ほら、ジャガイモ」
 一つ手渡され握ってみる。生の状態ではかなり硬く、掌でこすると黄金色の表皮が表れた。熟れすぎた青リンゴを思い起こさせ、試しに一口齧ってみた。
 すぐさま口の中のものを吐き出す。なんともいえない舌にまとわりつくような渋みはあるし、リンゴのような食感なのに甘みがまったくしない。
 呆れた顔でマナは言った。
「当たり前だ。芽を食うからだ」
「芽がどこに?」
「ここ」
 マナはくぼみを指す。よく見ると白い突起がわずかに顔を出していた。
「皮を剥いて芽をとって、火を通して食うんだ。それだけだと味がしないから、スープに入れたりする」
「なるほどね」
 小麦みたいなものだろうか。彼らは硬く乾いたパンの代わりに、ジャガイモなるものを主食にしているようだ。
 ひとしりきり感心したユーリーを父親が呼ぶ。表に出る支度をしろと言う。
 居候しつづけた代わりの労働がまっているのかと思ったが、これから村長にあいさつしなくてはならないのだ、と付け加えられた。
 マナも獣皮の上着と帽子を着込み、手早く身支度を整えている。その傍らでコートに袖を通しながらユーリーは言った。
「村長ってどんな人?」
「優しい人だよ。でも怖い」
「優しくて怖いって、複雑そうな人だな……」
「ううん。とってもわかりやすい。だから村長だ」
「僕にはとてもわかりにくいよ」
 苦笑せずにいられない。
 マナと話していると、今まで自分が生きてきた社会と、ここでの小さな社会では基準そのものが異なることがあるからだ。その落差に戸惑いながらも、彼らは彼らなりの英知で生き抜いているのだとも思う。


 家と家の間隔が離れていたから、ここが村だと実感するには時間がかかった。
 雪はなく一点の曇りのない青空である。太陽が白い大地に反射して、まぶしさのあまり目を閉じてしまった。前を歩く親子は慣れきったもので、戸惑うユーリーなどおかまいなしに歩きつづける。距離が遠くなったとき、マナが駆けもどってきてくれ、ユーリーを間に挟む形で、移動を再開した。
 半刻は歩いただろうか。村長の住んでいる家は村の中央にあり、その前は広場にもなっていた。だがこれといった施設はなく、ただ森林のなかに空き地があるといったほうが正しい。
 ユーリーを助けてくれた犬たちの姿も見える。この寒空のなか、元気よく駆け回って遊んでいた。犬ぞりは村の共有財産なのだろう。楽しそうな鳴き声を聞きながら、ユーリーたちは丸太小屋のなかに入った。
 中ではひとりの老女がにこやかな笑顔で出迎えてくれた。マナと同じような民族衣装に身を包んでおり、彼女と同じぐらいの孫がいてもおかしくない年齢だ。
「おやまあ。これが風が報せてくれたお客人かい?」
 あいさつの言葉もなく、村長はにこやかにそう言うと、父親とマナは合掌した。これが彼ら流のあいさつらしい。
「だから連れてきた」
 ユーリーの腕をとりながら、マナは楽しそうに村長に話し出す。
「村長の言ったとおり、蒼月の晩、狩に出かけた帰りに見つけた。村の誰がこのお告げをいただくかと思ってたけど、あたしたちだなんてとても嬉しいんだ」
「きっとおまえの母さまが、空から見つけ出してくれたんだよ。おまえたちを楽しませたくてね」
「うん。あたしもそう思う」
「とにかくお座り。お客人からききたいこともあるしね」
 暖炉の前の敷物に座ると、奥から中年の女性が杯を運んできた。飲み物を一つずつ受け渡すと、微笑みを絶やさないまま彼女もその場に座る。
「あの……。話ってなんでしょうか?」
 落ち着かないユーリーは失礼だと思いながらも、話を切り出さずにいられない。
 にこやかだった村長の表情が、一瞬、険しくなる。
「おまち。お客人はもうひとりいる。まず、その彼と話をすませてからだ」
「もうひとり?」
「それはおまえさんがよく知っておろう」
「……」
 オレグとしか考えられなかった。
 雪のなかに埋もれたまま、ここまでやってきたというのか?
 それとも……。
 穏やかな口調で、村長はユーリーの頭上を見つめながら話し出した。
「悲しい気持ちはわかるが、早く彼を解放しておやり。残念だがこれがおまえさんに与えられた宿命なのだよ」
 しかしユーリーにはオレグの声は聞こえない。村長は語りかけるように、一呼吸おいて言葉をつづけた。
「おまえの見つけた太陽。残念だが独り占めすることはできない。太陽はあまねく者たちの頭上に輝く宿命なのだ。導きし者よ」
――導きし者!
 聞いたことがある。
 そうだ。もうずいぶん前のことだ。
 アリサの手紙で占いに興味を持ったから、オレグと二人でからかい半分に、名の知れた占い師のもとをおとずれたことがある。そのとき、彼女は言った。
 ひとりは導きし者。もうひとりは力ありし者。
 ではその導きし者とはオレグのことだったのか。
 そして風が報せたと、占う前に言われたことも思い出す。
 あのときは単なる偶然だと本気にしてなかったし、三日もたてば忘れてしまったぐらいの笑い話になったが、今ここで同じことを告げられるなど、誰が予想できただろう。
「オレグ……。こんなことってあるか。あの時すでに、僕らの宿命は決まっていたなんて……」
 ユーリーは頭を振る。あまりのやりきれなさに、両手で顔を覆わずにいられなかった。


 激しい感情の波に襲われたユーリーだったが、その間村長は何も言わなかった。
 マナ親子は心配そうに見守っているものの、いっさい会話をしない。村長の許可がない限り話ができないようである。
 村長に仕える女性が立ち上がり、新たな杯を手にしてもどるなり言った。
「これを飲んで。気分が落ち着く」
 言われるまま、口にする。夏の濃い緑の味がした。
「……さあ。前を向いて。村長が伝えたいことがあるそうだよ」
 顔を上げると穏やかな微笑をたたえた老女が、ユーリーを温かく見つめていた。
 彼女たちは会話をしていないというのに、なぜこうも心が通じ合うのだろう。
 そんな疑問が浮かぶが、これがこの一族の現実なのかもしれない。自分が疑問に感じることは、彼らにとっては日常の一つなのだから。
 村長がゆっくり語りだす。
「おまえは大地に呼ばれた。ここにいるのも、人々がこの白き大地に祈りを捧げているからだ。これからの道も険しかろうが、これだけは覚えておおき。おまえは精霊に呼ばれたのだということを」
「なぜ呼ばれたのでしょうか?」
「それはわからん。答えは未来が導き出してくれるだろう」
「納得できません。ここに来るまでどんなことがあったのか、あなたたちは知らないでしょう。その血塗られた道に値するほどの価値が、この僕にあるのですか?」
「価値とはおまえさんの世界のもの。精霊の価値とはまた別のもの。そして答えというものは、後の人々が語るもの。それだけだよ」
「……」
 反論できない。論点があまりにもズレているものだから、どんな説明を授かっても、頭で理解することが出来なかった。
 村長の手が静かにユーリーの頭に触れた。不思議なことに暖かいものが、頭上から全身へと駆けめぐる。沈んでいた気持ちが、嘘のように晴れていった。
「ほら。おまえさんは精霊に好かれておる」
「……」
「そんな顔をするでない。もうひとりのお客人が嘆いてしまうぞ」
 オレグのことを言っている。
 けれど姿も見えないし声も聞こえない。ユーリーにとって彼はまだ、雪のなかに埋もれたままだった。
 村長の傍らにいる仕え人が立ち上がった。また奥に消え、すぐにもどってくる。
 今度は杯ではなく、紐がついた桃色の小石を差し出された。受け取ったユーリーに村長は言った。
「よくお聞き。これは幽界とこちら側とをつなぐ石だ。もうひとりのお客人にどうしても会いたくなれば、祈るがよい。ただ――」
 村長の手が天を指す。
「いくら寂しいからといって、あちら側に連れていかれるでない。もどってこられなくなるからな」
 それはつまり、オレグを深追いすると、後戻りできなくなるということだろうか。
「そんな危ないものをなぜ僕に?」
「おまえたちが世界を分かち合うには、まだ時間が足りんようだ。もう少し話してみればいい。精霊もそう言っておる」
「……」
 ここでも返す言葉がなかった。
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