―冬の章 13―




 夏期休暇の直前の日だった。学生たちはそれぞれの故郷へもどるため、荷造りに精を出していた。
 ユーリーも自室で大きな鞄に帝都の土産を詰めていく。兄の子供たちはまだ小さいから、甘い菓子に目がないはずだ。地方ではまず目にすることのできない、かわいらしい缶ばかりを選んだから、大喜びする顔が目に浮かぶ。
 しかし気が重くないわけでもなかった。三回生になると進路ごとに専門的な科目と演習がまっている。父親から兄と同じように、部隊を率いて前線で指揮をとることのできる一般兵科をとるよう強く言われていたからだ。
 一般兵科は帝国陸軍士官学校が創設されたころからある伝統的かつ花形の科であり、優秀な学生でないと履修できないことで知られている。実績を積めばいつの日か軍の参謀部にも顔を並べることもできる。こればかりはいくら上級貴族の息子たちでも、簡単に進むことが出来なかった。
 バリャコフのような輩はどこの科でも関係ない。たとえ一般兵科でなくとも、履修する科での待遇は上々だからだ。演習でも指示を出す重要な役割を担っている。もしいつか実戦があれば、数多の兵士たちの上に立つのは上級貴族の士官たちなのである。
 ユーリーは入学してからしばらくすると、とてもではないが自分には一般兵科は向いてないと悟り、補給科への進路希望を出していた。ここなら戦闘ではなく事務的な作業と計算ができればいい。補給は実戦において重要な役割を担うが、なにせ地味だから人気は当然のようになかった。教官たちからも「君はぜひ補給科に」と推されているぐらいである。
 どう父親に説明しよう……。
 あの頑固者だから、そんなことでは士官学校に入れた意味がないと、雷を落とされるに決まっている。最悪、勘当だ。
 父親は厳格な元陸軍大佐であるが、同時に上級貴族の軍人たちを嫌っていた。まだ現役だったころだ。表では耐えているのだが任期を終えて帰宅するたび、怒鳴り散らすように無能な将校を罵る。それをなだめるのが母親とユーリーの役目で、早く退官して欲しいと小さいころから願いつづけていた。
――あいつらにはどんなことがあっても負けるんじゃないぞ!
 最後にはそう締めくくられ、士官学校へ入学し、一般兵科へ進めと半ば脅迫のように言われつづけていたのだ。
「あーあ。もっと運動神経が良かったらなあ……」
 そんな愚痴がこぼれてしまった。
 自分に足りないのはそれだけではないとはわかっているが、オレグを見ていると天性の頭脳と肉体に恵まれている彼がうらやましくてたまらない。努力すればすぐに身につくのだから、その逆の境遇がどんなものか想像できないだろう。
 明日は帰郷だというのに、いつになく憂鬱になってしまったユーリーを訪ねるものがいた。オレグだ。自室に入り椅子の背もたれに脚を挟んで座ると、その上で手を組み顎を乗せる。きらびやかな缶を見つめ、言った。
「おまえのお袋さん、菓子が好きなのか?」
「いや甥と姪さ。兄貴の子供たち」
「へえ。兄貴がいたとは初耳だな。歳は離れているようだが」
「まあね。でもぜんぜん似てないよ」
「金髪じゃないのか……」
「そうじゃなくて、君のように優秀な士官候補生だったってこと。今は准佐に昇格して故郷の駐屯師団に所属している。そのうち帝都の本部に所属するんじゃないのかな。とても期待されているみたいだから。両親自慢の兄貴だよ」
 意外だといわんばかりに、オレグは目を大きく開き、話を聞いていた。
「想像できなかった?」
「ああ。すまないが、おまえを見ていると兄弟がいるように見えなくて。両親からかわいがられているんじゃないかと、勝手に」
 ユーリーは苦笑せずにいられない。お互いの印象は自分が思うのと、ずいぶん異なるときがある。自分がオレグに抱いたものと同じように、彼も別の面を知って驚いたのだろう。
「いいんだ。僕はこの通りだから、父親には叱られた記憶しかないよ。いっそ、女に生まれたほうが良かったんじゃないかと、罵られたこともあるぐらいだ」
 オレグは眉間を寄せ、椅子から立ち上がる。なかなかうまく鞄の蓋が閉まらず、四苦八苦しているユーリーの手をのけると、代わりに蓋に手をやり片膝も乗せる。力の入れ具合が足りなかったようで、蓋は簡単に閉まった。
「ありがとう。やっぱり僕はとても不器用みたいだ」
「だからいいんだ」
「え?」
 ユーリーは大きく瞬きをし、顎に手をやるオレグを見つめる。
「だからおまえとはいつでも本心で話せる。この世界、不必要なものなどない。そうでなかったら神は私たちを創らなかったはずだ。現にこうしておまえを必要としている私がいるじゃないか」
「……」
 オレグはあの自信たっぷりの余裕の笑みをみせてくれた。最近は滅多に笑うことのなかった彼だが、自分のために向けられた笑顔がとても嬉しかった。
 思わず涙がにじんでしまい、気恥ずかしくなってしまう。
 ユーリーは慌てて立ち上がり、鞄を部屋の隅に移動させ、話題を変えた。
「君も明日から帰郷だろう? アリサにどんなお土産を?」
 再び椅子に腰掛けながら、オレグは答える。
「便箋と封筒とペン。もっと手紙を書きたいとあったからな」
「へえ。月に一度じゃ物足りないってわけ?」
 ここでオレグは顔を赤らめ、咳払いした。滅多に見せることのないその恥じらいの表情が、とてもおかしくてたまらない。
「ま、まあな。それはあくまでもアリサの希望だが」
「まんざらでもないくせに」
「急がないと商会から追い出されそうなんだ。前の手紙に書いてあったんだが、毎日のように縁談を持ちかけられているらしい」
「アリサが? てっきり君の両親は認めているのかと思っていたけれど」
 オレグは小さく首を横にふる。さきほどまでの隙のある表情は消えうせ、真剣なまなざしで床に視線を落とす。
「いや。下働きの娘などに商会を継がせるわけにはいかん、と親父は思っている。私には弟妹がいるから、そのどちらかに後継ぎになってもらえばいい……とは話しているんだが。まったく通じない」
「君にどうしても後を継いで欲しいんだね」
「そうさ。言っておくが私はそんなつもりはさらさらない。たしかに金貸屋は儲かるが、人の生活を食い物にするその商売は好かん。アリサの母親だって、元は借金のカタに下働きとして売られた身なんだ。一生働いても金を返せないから今はアリサもともに。なんたる因果な商売だ……」
「だから君は軍人になるためにここに?」
「ああ。職業軍人になれば給金だけで充分生活できる。なにより――」
 ここでオレグは言葉を切った。ここから先は口にしたくないのだろう。だからユーリーもあえてきかなかった。
「卒業したら故郷にもどる約束をしているが、私は守るつもりはない。アリサとともに家庭を築こうと思っている。しかしその前に縁談を無理やりまとめられる可能性が高い。ならば、一日でも早くここを卒業して自立する必要がある」
「あと二年も待てないと?」
「一般兵科を勧められていたが、先日、補給科に変更届を出した。あそこなら履修科目を前倒しで取ることができる。独学して報告書を仕上げれば一年で充分、卒業できるさ」
「君が補給科……信じられない」
「時間がないんだ。それに私は出世するつもりはない。地方でアリサと静かに暮らしたい。だからこの休暇で婚約もすませる予定だ」
「そうだったのか……」
 オレグの視線が自分をとらえる。その真っ直ぐな表情はすでに決意したのだと教えてくれた。
 以前の彼なら一般兵科に迷うことなく進んでいただろう。アリサの縁談が彼の人生をずらしてしまったのはまちがいない。
 それに……。
 ユーリーの脳裏の浮かぶのは、やはりあのバリャコフの靴を舐めるオレグの姿だった。
 あの日、あの時、彼は悟ったのではないか。
 いくら実力があろうとも、連中のような輩が存在するかぎり、自分には輝かしい道はありえないのだと。
 だとしたら悲しすぎる。


 荷物を整理し終えるとすでに夕方だった。すっかりオレグと話し込んでいたから、時間がたつのも早い。これから一月近く顔を見ることがないから、それでもまだ足りないような気がしてならなかった。
 夕食をとるためにユーリーはオレグともに食堂に向かおうと、自室の扉を開ける。そこに立っていたのは寮の管理人だ。かなり慌てた様子で、オレグを見るなりその手を引っ張って別室へと連れて行こうとする。
「大変です。早く、早くしないと支度が間に合いません!」
 しかしユーリーたちには何のことか見当がつかない。管理人の手を強引に振り払ったオレグが、不機嫌をあらわにした。
「まず事情を言え。私には何のことかさっぱりわからん」
「あ、あ、そうですね……」
 あたふたと管理人は上着のポケットをまさぐり、一枚の白い封書を取り出した。オレグの科を担当する教官宛になっており、すでに開封された後である。
 オレグはそれを奪うようにして取ると、素早く目を通した。その後でユーリーも背伸びをして文章を読む。
 その内容はなんと。
 たちまちオレグの顔が紅潮し、忌々しげにその封書を握りつぶした。
 無理もない。なぜなら。
「オレグ。それって夜会の招待状、だよね?」
「なぜだ、なぜだ……。なぜ、あいつらは私に関わろうとする!」
 招待状には手紙が添えられており、先日の剣術大会でオレグを見初めた子爵令嬢からのものだった。しかしオレグはまったく面識がなく、青天の霹靂といったところだ。
「早く支度をしましょう。今夜、開催されるそうですから」
 そう管理人は急かすのだが、頑なにその場を動こうとしなかった。
「断れないのか?」
「無茶を言わないでください! そ、そんなことをしたら、あなただけでなく私たちにも。ああ、考えるだけで恐ろしい」
 オレグは無言のまま管理人を見つめていた。気まずい空気が流れ、背後にいたユーリーにも緊迫感が伝わる。
「どうする、オレグ?」
「行くしかないだろう。私が断ればその後が厄介だ」
「では、すぐに支度を!」
 再度、彼の手を管理人が引くが、またもや振り払われてしまう。
「承諾したのではなかったのですか?」
「待ってくれ。私は踊れない」
「は?」
 管理人は大きく口を開けた。時間が一瞬、止まる。
 ユーリーも内心驚いていた。何でも完璧にこなすことができる男なのだと思っていたが、どうやら苦手なものがあったらしい。
「社交界とは縁のない生活をしていたからな。そのうち覚えようとは思ってはいたが……。かといって断れないし。困ったな」
「僕が教えようか? これでも社交界のたしなみは教育されているから」
「しかし時間がなさすぎるぞ」
「だよね。さすがの君でも無理だよな……」
「うーん……」
 管理人はさらに慌ててしまったのか、ユーリーの腕を引っ張る。
「おいおい、僕じゃなくて、オレグだろ!」
「お二人で出席なさればいいでしょう。あなたが踊って、彼が令嬢の話し相手になるんですよ!」
「そんな無茶苦茶な……」
 またもや呆気にとられるユーリーだったが、オレグはまんざらでもなさそうだ。
「そうだな。それがいい」
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