―冬の章 12―


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 帝国陸軍士官学校では年に一度の集大成とも呼べる、催し物で賑わっていた。在学している学生たちが訓練の成果を披露する行事である。普段は外部と交流がない彼らであったが、この日ばかりは招待状を持っているものなら誰でも見学することができた。
 学校内に設けられた競技場には、数え切れないほどの観衆が声援を上げる。ほとんど学生たちの身内や友人で占められ、オペラグラス片手に華やかな衣装に身を包んでいた。
 その色とりどりのなか、ひときわ目立つ席があった。前方の中央、もっとも観戦しやすいであろう位置に、警備兵たちと豪奢な背もたれ椅子が並んでいる。そこで厳しい顔で競技を眺めている面々は、近づきがたい雰囲気がそなわっていた。
 壮年の彼らは勲章だらけの軍服、宮廷の官吏衣装、王族の証である緋色のマント……とつづいていた。
 そう、この行事の真の目的は、競技できわめて優秀な学生たちを審査することであったのだ。過去、皇太子がいたく気に入られた学生が、翌日のうちに直属の親衛隊に大抜擢されたこともある。平民の出身だった彼は貴族の称号も与えられ、稀に見る栄誉明達を果たしたといわれている。
 一般の観客席も学生たちの身内だから、やはり身分の高い者がほとんどだった。
 そんななか、もっとも熱い競技が開始される。剣術だった。
 射撃や弓、騎馬戦、乗馬も人気があるが、やはり騎士といえば剣である。伝統ある帝国流剣術は行事の目玉となっていた。
 ユーリーは学生たちが観戦できる席に座りながら、オレグの出番を心待ちにしていた。トーナメント制だから、あと一勝すれば決勝戦に進める。
 オレグは本当にすごい。
 剣術だって士官学校に入るまでは、まったく修得していなかったというのが嘘だと思うぐらい、彼は誰よりも強かった。それだけならまだしも、筆記試験だっていつも同回生で五本の指に入るぐらい優秀だ。あまりにもすごすぎて、人間離れしていると陰口を叩くものが多かったほどである。
 それに比べて……。
 ユーリーは競技という競技はまったく苦手だったから、レポート組にまわった。地道に調べ上げたせいか、本人が予想していた以上に、教官たちの評判がよかったのがせめてもの救いだった。
 歓声が上がった。白い競技服に身を包んだ選手二人が入場してきたからだ。
 手にしている面を頭に装着し、場の中央で互いに向かい合うと一礼する。係である教官が運んできた盆には、競技用の細い剣――レイピアが二本並び、選手はそれぞれ手にして構えた。
 ラッパが高らかに鳴る。開始の合図だ。
 左手の選手がまず突いた。あっけなく振り払われ、一歩引く前に相手の剣先が腹にあたる。あまりにも素早くて、ユーリーにはどうして審判が点を入れたのか、一瞬、理解できなかったほどだ。
 次に右手の選手が攻撃に転じた。相手に剣先をかわされてしまう。すかさずわき腹に剣先があたる――と思ったら、先に身体を逸らせた彼がその剣を叩き落し、相手の胸に己の剣先をあてた。
 すごい。攻撃すると見せかけて、故意に相手の隙をつくっていたんだ!
 感激するユーリー。周囲の学生たちも同様だったようで、歓声ではなく感嘆のため息をもらすほどだった。
 何度か剣を重ね、試合は誰もが予想したとおり、右手側の選手――オレグの圧勝で終わった。終了の一礼をすませ彼が面を外すと、大歓声が上がる。まだ準決勝だというのに、すでにオレグが優勝するのだと、誰もが称えていたほどだ。
 しかし肝心のオレグに表情はなかった。あれだけの歓声を一身に浴びれば、誰だって喜びのあまり破顔するのだと思うのだが。
 視線を下に落としたまま退場し、オレグは控え室へともどっていった。次の試合にそなえるための休憩である。
 ユーリーはねぎらいの言葉をかけたかったが、出場選手との接触は競技が終了するまで禁止されている。
 次の対戦相手は……。
 たしか、アドリアン・グリエフという名前の学生だった。
 グリエフ――。
 別名、白鷺の貴公子。ヴラドヘン男爵令息。
 あの人だ。僕らに協力したい、と言っていた……。
 心がざわめいた。
 バリャコフの靴を舐めてからというもの、オレグは高貴なる血筋のお方とは一切、接触しようとしなかったし、自ら避けていた。口を利くのはもちろん、視線すら合わせない。 向こうから何か言ってくれば、丁寧な言葉で応対して頭を下げるだけだ。
 オレグのあまりにも変わりように、面白半分でからかう連中もいたが、それでも彼は以前のように睨みかえすことすらしなかった。
 無理もない。誰だって、あんな屈辱を受けてしまえば、萎縮するのは当然だ。しかもオレグは平民。また何か問題が起こってしまえば、真っ先に反省房に入れられるのは彼なのである。
――だからせめて、この場だけでも光輝いて欲しい。
 ユーリーは試合の準備を始める競技場を見つめながら、そう祈るのだった。
 待ちに待った決勝戦が開始された。
 行事のメインイベントになるから、学生たちはもちろん、他の競技を観戦し終わった観衆たちで競技場はごった返していた。どちらが勝つのか賭けをしている学生までいる。
 グリエフは優しげな見かけに反して、かなりの腕の持ち主だ。オレグが相手の隙を狙う戦法が得意ならば、彼は隙をつくらない攻撃に長けている。幼いころから訓練された賜物だろう、剣を構える姿も優美なる貴公子そのものだった。
 試合開始のラッパが高らかに鳴り響く。
 が、どちらも攻撃しない。互いに牽制しあっているのか、じりじり間合いを詰めているだけである。そして横に移動し距離を置き、再び間合いを詰めていく。
 なかなか攻撃しない両者に苛立った観衆がざわめきだした。
 それを否定するように、攻撃を開始したのは右手側の選手――オレグだった。
 グリエフはすぐさま後ろに引き、相手の剣戟を受け止めるや否や、攻撃に転じた。オレグが体勢を立て直す前に、突きを胸に入れる。
 歓声が上がった。ユーリーは思わず叫ぶ。
「オレグ、がんばれ!」
 それにつられるように、オレグと同科の生徒たちも声援を送った。
 試合は緊迫していた。
 再び両者は牽制しあっている。まるでお互いの心を読みあっているように。
 これは心理戦だ。
 オレグもグリエフも相手が強いことを承知している。先に剣を出すタイミングがずれてしまえば、たちまち相手に点を入れられてしまうだろう。かといって、攻撃しないことには点が入らない。
 再び剣を突き出したのはまたもやオレグだった。焦っているのか、いつもの彼らしくない剣さばきが、相手に大きな隙を与えてしまった。わき腹に、みぞおちに、そして胸にまでグリエフの剣先が突く。
 立て続けに点を入れられてしまい、グリエフの勝ちは決まったも同然だった。


 試合が終了するとすぐに、ユーリーはオレグをねぎらいに控え室へ駆けた。優勝者であるグリエフは競技場の中央で、賞賛の嵐ともに学校長からじきじきの表彰をいただいている。敗者はすぐに姿を消すのが、帝国流剣術の流儀でもあった。
 控え室の前には誰もいない。普段からオレグはユーリー以外の者とは接触を避けているし、遠方のため家族が観戦に駆けつけることもなかった。
 扉を叩いて開けると、背もたれ椅子にだらしなく座っているオレグがいた。相当疲れたようで、着替えもすませないまま息を大きくついていた。
「惜しかったね。でも準優勝だなんてすごい。きっと故郷の家族も喜んでくれるよ」
「ああ」
「疲れた?」
「当たり前だ。あのグリエフ、相当な手練だったからな」
「たしかにあの人、みかけによらずすごかったよ」
 いつまでも控え室を独り占めするわけにはいかないから、ユーリーはオレグの汗を拭いて、着替えを手伝ってやった。いつもなら世話されることが多かったから、ちょっとだけ嬉しい。
 疲れ果てたオレグを支えるため、ユーリーは肩をかしてやった。熱気冷めやらない競技場を去り、寮にもどってゆっくり休むつもりだった。
 競技場の裏口から出て、並木の茂る散歩道を通って帰る。夏の日差しがそろそろ厳しくなってきた。もうすぐ夏期休暇がまっている。
 背後から声をかけるものがいた。振り返ると、競技用の衣装のまま駆けつけたグリエフだった。かなり急いで追いかけたようで、大きく息を切らしている。
「はあ、はあ…………。君、私を侮辱するのもいいかげんにしたまえ」
 ユーリーには何のことかわからない。オレグを見ると、無表情で相手を見つめているだけだった。
「あんな八百長試合で優勝など、恥ずかしくてたまらない。なぜ、本気で立ち向かわなかった? 私が男爵の息子だからか?」
 間を置いてオレグが答えた。
「申し訳ありません」
「それだけか、言うことは?」
「はい」
「……なんたる、不遜な輩」
 と、言い終わるや否や、グリエフの張り手がオレグの左頬を直撃した。勢い余って、肩を支えていたユーリーの足元までもふらついたほど、それは力強かった。
 それでもオレグは何も答えない。視線を地面に落としたままである。
「まあいい。君にも深い事情があるのは、私も承知している。しかし、そのような態度も相手を馬鹿にしているのだと、早く気がついて欲しいものだ」
「申し訳ありません」
 オレグは力なくそう答えるだけだった。
 寮にもどるなり、オレグは自室に閉じこもってしまい、ユーリーも声をかけるのをためらってしまう。仕方ないから、自分も自室で時間をつぶすことにした。
 ベッドに横になり、観戦したばかりの試合を思い出す。
 あの決勝戦、オレグは初めから負けるつもりだったんだ。
 だから準決勝戦で浮かない表情をしていたのだろう。
 グリエフの言うとおり、いくら相手の立場が上でも競技で手を抜くのは、やはり気持ちよいものではない。
 オレグならそれがわからないはずはないが……。
 それとも別の意味があって、負けを選んだのだろうか。
 あの場で接戦し優勝したら、我が身に有り余るほどの光栄が与えられるというのに。
「まさか」
 ユーリーは上体を起こす。
「オレグのやつ、出世を拒んでいるんじゃ……」
 でもどうして?
 いくら疑問が浮かんでも、ユーリーにはわからない。
 友といっても、心の奥底まで見ることはできないのだから。
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