―春の章 08―




 村長と話した翌日、ユーリーが次に向かったのは教会だった。
 ナザ村は小さく、教会は離れた場所にぽつんと建っている。隣村と、そのまた隣の村との祭儀を兼ねているためだという。
 この地方は教会を中心とした円状に村がいくつかあり、その同心円を束ねているのが地主である。その地主たちを取りまとめて管轄しているのが地方領主だ。しかし肝心の領主は不在であることが多く、執務は代理に任せてしまい、帝都に住まいを移していた。
 これも農民が貧しい元凶の一つかもしれない。領主がいないのだから、地主は好きなように税を徴収できる。男爵だろうが伯爵だろうが、こんな方法で得た富を贅沢に使っている姿を、ユーリーは帝都で見てきた。
 もし隣にオレグがいたら、憤怒しているにちがいない。彼は上級貴族たちをどこまでも嫌っていたから。
 でも……。
 ユーリーは思う。オレグだって実家は似たようなものだ。身分が平民というだけで、貧乏貴族な自分よりはるかに境遇は良かった。寮の食事はまずいとは言ってなかったものの、時々、隠れるようにして、買い込んだ高価な菓子を口にしていたのを見かけた。
 そんな日は決まって熱い紅茶を淹れるために、ユーリーが見かけたことのないような銘柄の箱を出していた。普段飲むものよりはるかに香りが良くて、ジャムや砂糖を少しずつ口に含みながら味わう。
 その砂糖も純度が高く、雪のように白かった。ユーリーの小遣いでは到底、買えることなど不可能だ。奢ってもらうたび、妙な後ろめたさがあったことを忘れられない。
 それを当たり前と思っていたのかどうか。あの様子だと深く考えているふうではなかった。ただ、あまり知られるのはよくないと感じていたらしく、菓子をもらうのも就寝時間がすぎた彼の自室でだった。
 そんなオレグの小遣いも、こうして身を粉にして働いている農民たちの存在があってこそなのであった。富は公平に行き渡らないと言っていた彼自身もまた、その不公平さゆえに恵まれていたとはなんという皮肉だろうか。
 そんなことを考えているうちに、玉葱のように丸い教会の屋根が見えてきた。ナザ村を離れてだいぶ歩いたような気がする。馬があれば造作ない距離なのに、これでは少し司祭と話しただけで、すぐに引き返さなくてはならないだろう。
 今日もまた頭のなかで何度も反芻した言葉を思い出しながら、教会の扉を叩いた。
 すぐに僧服に身を包んだ青年が出てきてくれた。司祭に会って話がしたいと告げるが、彼もまた手錠が気になったのだろう。聖職者らしからぬ険しい表情が返ってきた。
 仕方なく自分はナザ村の丘にある収容所の政治犯で、食糧事情を改善するために所長から派遣されたのだと付け加える。相手の表情は怪訝なまなざしをふくんだままだ。
 それでも司祭に取り次いでくれ、聖堂内で待つようにと言われた。久しぶりに見る教会はどんな田舎にあろうが、色彩豊かな聖人絵の輝きだけは変わらない。ぼんやりと燭台の光に浮かび上がる聖人の姿は神々しいというより、ユーリーの目には滑稽に映ってしまう。こんなところに閉じ込められているから、オレグやトーシャは助からなかったのだと。
 それだけではない。本当に神がいるのならば、帝都にいた貧しい子供たちの命も、そうまでたやすく奪われることはなかったろう。それともこの世が試練で、天界こそ本当に自分たちが住むべき場所だと言いたいのだろうか。
 だったらいっそのこそ、この世界の喜びも楽しみもなくしてしまえばいいのだ。そうすれば誰もが争うようにして、天界へ旅立とうとするはずだから。
「あなたですか。私どもに話があるというのは?」
 声をかけられ、ユーリーは振り返る。壮年の司祭がいた。大柄で野性味あふれる体つきは、聖職者というより、野良仕事が似合っているといったら失礼だろうか。
 ユーリーはあらためて向き直ると、丁寧にあいさつをして要件を話す。
「僕はナザ村の丘にある収容所の政治犯です。食糧事情がとても悪く、自分たちの手で作物を栽培しようと考えています。畑を貸していただきたく村長とも掛け合ってみたのですが、まず司祭様に許可をもらうよう教えられ、こうしてお訪ねした次第です」
 肝心の言葉をここでも口にできなかった。村長でもああだったのだから、司祭だとどう反応されることやら。考えただけで冷や汗が出てしまう。
 穏やかな表情で、司祭は言った。
「許可なら、わざわざこちらまでおいでくださらなくても結構でしょう?」
「その……。芋を植えたくて……」
 視線を下に落とさずにいられない。
「芋、ですか? もしかして」
「そのもしかして、です」
「ああ、なんたることを! あれはなんなのかご存知なのですか! 悪魔のリンゴなのですよ! 食べたらあなたは真っ先に地獄へ堕ちるのですよ!」
 ユーリーの前で司祭は嘆く。予想通りの反応だったものだから、次に待っているのは説得だ。これも頭のなかで何度も考えた言葉を口にする。
「この通り僕は犯罪者です。今さら天界へ召されるとは思っておりません。どのみち地獄へ堕ちるのならば、この日々を少しでも豊かに暮らしたいのです。しかし収容所の食糧事情はひどくて、この冬は餓死するものが出てしまいました。だから冷害に強いというジャガイモを育てて、それを食したいと思っているのです」
 一気にここまで話して、息切れがした。緊張しているせいか、喉も渇いてくる。
 これがオレグだったら余裕の表情で、もっとすごい詭弁を披露してくれるにちがいないだろう。残念だが、そんな恵まれた才能、自分にはひとかけらもない。
「そうですか。いいですよ」
「は……?」
 さきほどまで嘆いていたはずの司祭だが、あれは演技だったのかというぐらい、平然とした表情でこちらを見つめていた。
「その、悪魔のリンゴなんじゃあ……」
 逆にユーリーが問い返してしまう。
「そうです。あれは悪魔のリンゴと呼ばれています。ですから私どもも村の者にも食べることは勧めておりません。そう対処するよう、総本教会から指導されておりますゆえ」
「ではあなたの考えは?」
「食べたければお食べになればいい。たしかにここの食糧事情はひどいものです。他の地方にいたこともありますが、ここまでじゃなかった。ただし、これはあくまでも私個人の考えであって、教会としては反対です」
「結局、どちらなのでしょう……」
 再び司祭は穏やかな笑みを浮かべる。
「どちらでもいいじゃないですか。こんなことで許可を出す、出さないとは申せる立場ではございません」
 ユーリーは固まってしまった。
 村長があれだけ司祭を説得したほうがいいと教えてくれたのに、その司祭はどうでもいいと言っている。
「おやおや、そのお顔では納得できないようですね。では、少し説明いたしましょうか」
 司祭は聖堂を出ると、裏庭までユーリーを案内した。そこは植え付けがすんだばかりの小さな畑である。高く盛られた土が軟らかい。
「そこを掘ってみなさい」
 と、司祭は畑の隅を指し示した。言われるまま、ユーリーは素手で土をかきわける。小さな塊が見えてきた。見覚えがある。それもそのはず。
「あ……ジャガイモ?」
「そうです。悪魔のリンゴです」
 これが驚かずにいられようか!
 立ち上がり司祭を見たら、穏やかな笑みをたたえたままだ。
「どうしてなのです? あなたがこんなことをしてしまったら、ただ事ではすまないのではないですか?」
「いいえ。私は植えておりません。下働きに雇った男にすべてを任せておりますから」
「しかしなぜ?」
「四年前にも冷害がこの地方を襲いました。その年、こちらに赴任したばかりだったものですから、食糧事情もよく知らず、気がつけばその日の食事も事欠くまま、真冬を過ごす羽目におちいってしまったのです。そのころ、たまたま教会に暖を求める行商の一家がいまして、持参していたのがジャガイモでした。彼らの祖父は帝国の人間ではないものでしたから、平然とそれを食べてましたよ」
「じゃあ、そのときに司祭様も?」
「ええ。うっかりそれとは気づかず、私も相伴してしまったのです。後から知って、大いに後悔しましたが、不思議なことにあれから壊血病が改善しました。罪なこととは知りつつも、おかげでこの冬は無事に乗り切れたのです。しかし、事情が事情ですから、私からこれを広めることは大罪に値します。芋を作っているのも、そのときの一家の三男ですから、住み着いた彼が勝手に作っていることにしているのですよ」
 今までの緊張がどっと抜けてしまい、ユーリーは乾いた笑いがこみ上げてくるのを抑え切れなかった。
「ははは……。偶然とはいえ、まさか司祭様もだったとは」
「ではあなたもこれに救われたのですね?」
「ええ。僕もですが、仲間もです。しかもその芋をくれたのは先住民でした。正直な話、彼らをあまり良く思ってなかったのですが、こうして命を救ってくれたのですから、彼らのほうこそ地獄に堕ちるとは考えられません」
「同感です。きっと私たちだけでなく、この地方には同じようにして救われた方が、他にもいるはずです。ですから――」
 司祭の表情が堅くなり、ユーリーの手を両手でしっかりと握りしめる。
「お願いです。どうにかしてこれを広めてください。あなたなら立場が立場ですから、村の人々もうるさく言わないでしょう。所詮、収容所の人間だから変わり者だと――っと、失礼しました」
「いえ、いいんです。まさかこうして励ましまでいただけるとは、思っていませんでしたから。感謝するのは僕のほうです」
「あとは地主のほうを説得してください。彼らは麦を税として取り立てていますから、畑に他の作物を栽培するのは快く思わないでしょう」
「地主……」
 軽かったはずの気持ちが、たちまち萎えてしまいそうになる。
 あの鞭打つ男と役人風情の男が思い出され、教会以上に交渉が難しいかもしれないからだった。その税をさらに吸い上げるのは地方領主。相手の一存だけで解決できるとは思えない。
 時間がないから、ここで別れることにする。礼を述べ、教会の裏庭を立ち去ろうとした。やや、考えたふうに間を置き、司祭が言った。
「地主には充分にお気をつけなさい。特にあなたのような方は、危険だと噂になっておりますゆえ」
「僕が、です?」
「ええ。私がそう思えるぐらいですから、きっと」
「はあ……?」
 いったいなんのことか理解できず、ユーリーは首をかしげるだけだった。それ以上問いただしても、司祭は答えてくれず、腑に落ちないまま教会を去るしかなかった。
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