―春の章 13―




 新緑がまぶしい。
 いつも通っているこの並木道は、訓練場にもなっている競技場と、校舎と寮をつないでいる道だ。校内にもかかわらず、士官学校は広いから散歩をするにも格好の道だった。
 もうすぐ夏がくる。しかし風は冷たい。
 不思議だ。若葉はあれほど茂っているというのに。
 並木の間から金属同士がぶつかる音が聞こえた。なんだろうと思ってのぞいてみると、二人の学生が軍服姿で剣を手に闘っている。
 驚いたことにそれは競技用のレイピアではなく、軍人たちが帯剣しているサーベルだった。真剣でしかも防護服を身に着けていない。
 まさしく命を賭けた決闘だ。
 こんな物騒な闘いはいけない。すぐに止めに入ろうとしたが、二人の男はそんな自分にまったく気がつく様子はなく、無表情で剣を振るっている。
 ひとりはグリエフ。もうひとりはオレグだ。
 剣術大会でも争った二人だから、見ているだけですさまじい覇気が伝わってくる。速さはグリエフが上だが、それを難なく受け止め、かわすのはオレグだ。一方的にグリエフが攻めていき、刃でひたすらオレグの腹部を狙う。
 しかしオレグは相手の剣技をとうに見切っているようで、もてあそぶように刃を受け止めては距離を置く。次の攻撃で軽やかに身をかわし、素早くグリエフの首筋に刃をあてた。
「馬鹿だな、貴様。私と一度剣を交えたことを忘れたのか?」
 涼しい顔でそう言った彼に、グリエフは悔しそうに言い返す。
「…………恩義を忘れたのかい、友よ?」
「何が恩義だ。私は貴様の言う理想とやらのために、この身も心も捧げるつもりだった。だが、それも嘘で塗り固められたと知ったのなら、こうするしかないだろうが」
「いつももっともらしいことを言うが、君は所詮、人殺しだ。賤しき血の流れている輩でないと、とても務まらないからね」
「そして言うのだろう――おまえは化け物だと」
「ああそうさ。初めて見たときから思っていた。この男は死神にとりつかれているにちがいないと」
「アリサを殺した貴様に言われる筋合いはないっ!」
 オレグがそう叫ぶと同時に、グリエフの首が飛んだ。すさまじい血しぶきが彼を真紅に染める。それでもまったく動揺する気配はなく、黙したまま地面に転がった首と胴体を見つめているだけだった。
「オレグ……?」
 眩暈をこらえながらユーリーはそっと、近づいた。
 ゆっくりとこちらを見つめながら、オレグは言った。
「こういうことだ。おまえが思っている以上に、私は穢れている。どこに行っても忌み嫌われてしまうからな」
 その顔はひどく歪んでいる。眉間に皺を寄せ、唇を噛みしめ、悲しみをこらえているようにも感じられた。生きていたころは決して、自分に見せなかった表情だ。
「忌み嫌われているって……、そんなふうに僕は思えない。君は誰よりも優しかった」
 オレグは自嘲めいた笑みを浮かべ、静かに首を横に振る。
「どうしてだろうな。私は闘いたくはないのに、気がつくといつもこうだ。なのにおまえはいつも誰からも好かれている。同じ人として生まれたはずなのに、不思議だ」
「それは……」
 ユーリーにもわからない。答えなどでるはずもなく。
 オレグの手からサーベルが落ちた。血の惨劇はたちまち消えうせ、元の爽やかな並木道にもどる。
 彼はその場に座り、そっとユーリーの両足を掌で包み込む。
「痛かったろう。それでもおまえは逃げ出さないのだな」
「当たり前だよ。仲間たちを見捨てるわけにはいかない」
「そうか。トーシャもおまえのことをしきりに案じていたぞ」
「トーシャが? どこに?」
「おまえには見えない。その代わり、言伝を頼まれた。寝台の裏を探してくれ、と。渡したいものがあるとか」
「なんだろう?」
「さあな。でもきっと素晴らしいものさ」
 顔を上げたオレグは笑みを見せてくれた。よく見せてくれたあの余裕たっぷりのものだ。
「これだけは覚えておいてくれ。人から好かれることを恥じるな。逆にそれを利用するのも、おまえの特権だぞ」
「え……?」
「好色なやつほど隙ができる。己の下心をいつも天秤にかけているからな」
「それってもしかして」
 立ち上がった彼はひとり、並木道を歩き出した。ユーリーは追いかけようとするのだが、足が動かない。
 そうだった。この両足は今、歩けないほど痛めてしまっていたのだ。


 目を覚ますと、そこは真っ暗な雑居房のなかだった。
「夢だったのか……」
 オレグに会いたいと祈った覚えはなかったのだが、意識してないうちにそう思っていたのかもしれない。それだけペトルシキンが吐いていたという言葉の数々が、自分の心を打ちのめしていた。
 夜が明けだしたらしく、廊下からうっすらと光が差し込んでくる。日に日に朝が早くなってきているから、さらに暖かくなるのも時間の問題だろう。
 窓のない遺体安置所に置いたジャガイモの種芋が気になる。一日でも早く植えたいのだが、地主との交渉にしくじってしまった以上、先へは進めない。足も駄目になっているから、またすぐに館に行くこともかなわない。
 ユーリーは自分を見る地主の目が気に入らなかった。あの男ことだから、たとえ交渉が成立したとしてもその場かぎりのことで、ふたたび何かにつけては別の条件を持ち出してくるにちがいない。
――好色なやつほど隙ができる。
 たしかオレグはそう言っていた。
 その隙がわからない。やつと会ったときのことを思い出すものの、こちらを油断させるような態度はまったく見せなかった。
 たとえ畑を使ってジャガイモを栽培したとしても、税は変わらないとまで言うぐらい、あの男は非情で……。
「あ、そうか。その手があったか」
 思わずそんなつぶやきが口をついていた。
 許可をもらうために地主に会った。そしてそんなもの勝手にするがいいと、やつは言っていたではないか。ならばこちらも勝手にさせてもらう。
 ユーリーは胸に手をあて、残りの金貨の固さを確認する。
 これを使わせてもらおう。オレグだってきっと賛成してくれるはず。この金貨はあの血の惨劇を経て、自分の懐にやってきたのにちがいないのだから。
 グリエフの死は知っていたが、それは何者かがよこした暗殺者の手にかかったものだと思っていた。だが、あの夢のとおりだとすると、オレグ自身の手で彼を殺めたのかもしれない。グリエフの嘘の数々に耐えられなくなって。
 そう考えると悲しいことだが、自暴自棄になりかけていた理由がつながる。気高き理想など、あれはあくまでも砂の楼閣にすぎず、現実はユーリーが思う以上に複雑なのかもしれない。
 ずっと沈黙を守っていたオレグが、今さらどうして自分に教えてくれたのかはわからない。彼なりの考えがあるからにちがいないし、本当ならば秘めていたかったはずの過去を見せてくれたのだから、それはそれで嬉しくもあった。
 もし生きている間に、教えてくれていたら……。
 少しは彼の孤独を癒してやることができたかもしれないのに。
 それともやはり自分には、それを受け止めるだけの強さがないと思われていたのだろうか。
 この日の朝食もなく、水だけを飲んで囚人たちは伐採作業にでかけた。コンドラートはあいさつだけして、ダニールは一切口をきいてくれなかった。この調子だと、朝食が出るようになるまで、無視されることだろう。つらいが仕方ないと割り切るしかなかった。
 そしてひとり、雑居房に残されると、ユーリーは痛みをこらえて、トーシャの寝台の下にもぐった。渡したいものがあるとトーシャが言っていた。そうオレグは教えてくれた。
 なんだろうと思いつつ視線を上にやると、板と板の隙間に何かが押し込まれていた。革の艶やかさは薄暗い寝台の下には不釣合いである。
「もしかして、これ……」
 ユーリーは一足のブーツを取り出した。自分が履いていたものより柔らかく、まったくの新品である。そういえば、トーシャの父親は靴職人だったのだと、自分の遠い記憶が教えてくれた。
 試しに履いてみると、大きさもちょうどよく、何より底が丁寧に仕上げられていて、革の柔らかさが痛みを和らげてくれる。
 雑居房をゆっくりと歩いた。足は痛むものの、これだと数日大事をとればまた歩くことが可能だろう。それだけこの靴は質の良いものだった。
 トーシャは何かのときのために、これを大事にとっておいたにちがいない。かなり上質の靴だから、街で売ったとしてもけっこうな額の硬貨が手に入るはず。
 ユーリーはありがたく受け取ることにした。
 ダニールやコンドラートが余計なことを勘ぐらないようにと、自分の寝台の下にブーツを隠す。何がなんでもまたあの地主の館に行かなくてはならないのだから。
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